ホワールウィンド



960馬力双発 速度580km/h
ウェストランド社製のこの機体は、1936年にスーパーマリンや
ホーカー社と共に双発単座重武装の機体設計が検討された。
2社を抑え1937年2月に試作発注されたこの機体は1938年10
月に初飛行し、世界初のバブルキャノピー式のコクピットを持
ち、細身で流麗な機体となった。
当初、双垂直尾翼型式の採用も検討されたが、装備が決定した
ファウラーフラップが空力的に悪影響を及ぼす事が懸念された
為に、T字尾翼の形式に変更されている。
当時、小口径多銃の方針を採用していたイギリスにあって、19
36年に実用化したばかりのイスパノスイザHS.404のライセン
ス品であるベルト給弾式のイスパノMkUを4門も装備。
同時期中にあっても、20mm4門の火力は驚異的である。
機体も双発にしてはかなり小型で、後期型のグリフォンスピッ
トと同程度の全長しかなく、全備重量状態でも4.6t程度と、
例えば後発の日本の屠龍などより500kg以上軽量。
この機体の泣き所はエンジンで、ロールスロイス・ケストレル
系を発展させたペレグリン・エンジンを装備している。
このエンジンは小型軽量で960馬力程度しか出せないのはまだ
しも、整備泣かせなほど稼働率が低かった。
ラジエターの吸気口は、エンジンナセルから胴体迄の間の中央
翼前面部分に置かれていた。
実戦では爆撃機などの長距離護衛にも就いたが、稼働率の低さ
は覆い隠せず、小型軽量重武装で流麗な機体ながら、生産数は
試作機まで含めても116機にすぎず、大きな戦力とはなりえ
なかった。 高高度域での性能の悪さも手伝って、バトル・オ
ブ・ブリテンでの運用すらも控えられていた。
結局、エンジンの稼働率の悪さは改善される事はなく、少数だ
けで生産終了となり、終始エンジンに泣かされた。
夜戦用に改修テストされた1機には37mm1門、7.7mm12門
という武装の機体もあった。

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