フォッカーD]]T



830馬力 460km/h
アントン・ヘルマン・ゲラード・フォッカー、短称アントニー・フォッカー
ドイツでフォッカー社を設立したが、後に国有化され、その後第1次
大戦後のベルサイユ条約時に、機体コンポーネントを持ってさっさと
母国オランダに帰国し、新しい航空機製造会社を設立した。 後に
改めてフォッカー社となったその会社が製造した本機である。 
しかし本機が生まれた1936年には、フォッカー社は既に米ゼネラル
モータース傘下になっている。 げに複雑な国際関係・・・。

本機はフィンランドを救った機体として有名だが、本家オランダでも
配備はされてたが、ほぼ役に立たなかった。
スペインではライセンシーされたが生産されず、デンマークでも
ライセンス生産されゴンドラ式装備で武装強化されたが、とても
活躍できる状況ではなかった。 国力が無く、固定脚機で、ドイツ
のMe109の制空権を打ち破るのは難しかった。
しかし、簡素で頑丈な機体は、財政的にも厳しい小国にはありがた
い性能で、その上当時としては優秀な速度と上昇力が搭乗員から
喜ばれた。 しかし操縦特性はかなりピーキーなものらしく、特に
昇降舵の効きには冷汗ものの事態も多かった。
それは空戦での敏捷性を追求した結果だったのだろう。 それ故
手のうちに入れたベテラン搭乗員の操縦では、カタログスペック
以上の活躍できのだろう。


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