MB152



1080馬力 515km/h
ブロック152は、当時の雑多なフランス戦闘機群の中でも、特筆
されるべき存在だろう。 残念ながら機体性能で、ではないが。
ブロックはブロシュとも発音される。
創業社主はユダヤ人のマルセル・ブロシュ氏。 当然の事ながら
ドイツへの協力を拒否した。 そして終戦まで収容所で暮らすが、
彼の兄ダリウス・ポールはレジスタンス活動に参加しており、
チャー・ダッソーのコードを得ていた。
マルセル氏は戦後ブロシュの名をダッソーへと改名。
マルセル・ダッソー、現ダッソー・アビアシオン、フランス最大の
軍事用航空機製造メーカーであり、グループダッソーの初代である。

MB152の元になるMB150は情けない性能だった。
初飛行では、滑走を開始したが浮き上がれなかったのだ。
文字通り、飛べない戦闘機、の「進空(?)」である。
これが、第1次大戦の航空先進国、現在ダッソー社を擁する軍事
強国フランスの、当時の1コマである。
主翼面積の増加、エンジン換装、降着装置の改良と、最初から
やっておくべきことをやった結果、やっと空に浮いた。
このMB150を元として、4年後にMB152の生産が始まる。
ところがドイツがポーランドに攻め込んだ時点でも、120機程が
完成しているに過ぎず、準備不足はあきらかだった。
ドイツのフランス侵攻時の戦闘で、生産機数の半数に近い機体が
失われ、残存機はヴィシー政府軍の使用機となった。

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