ウェルズレイ



925馬力 368km/h
ビッカース社のバンーズ・ウォリス技師の発案になる大圏構造。
簡単に言えば、金属ベルトで竹籠を編む要領で機体を形作っていく
建造方法となる。 その構想を初めて採用したのが本機である。
当時は海の物とも山の物ともつかない建造方法だったので、とり
あえずビッカース社の自主開発という事で機体開発が始まった。
1935年6月に初飛行し、同年9月には空軍省から爆撃・偵察
機として正式に発注を受けた。
主翼のアスペクト比が大きく、長距離飛行を目指していたとわかる
機体構成である。 
合計176機が生産されたが、第2次大戦開戦時にはアフリカに
いくらか残っているくらいで、本国からは既に居なくなっていたが
アフリカに派遣されていた飛行隊の残存機は作戦行動を継続した。
イタリアの宣戦後は、在アフリカのイタリア軍とも交戦。
イタリア空軍の複葉戦闘機にでも捕まったらえらい事になるので、
次第に爆撃などの戦闘任務からは離れて行ったが、偵察任務では
1942年まで使用された。
この機体の最も大きな成果は、ビッカース社とウォリス技師に対し
大圏構造の機体構成に自信を与えたことではなかろうか。
1年後の1936年6月には、ウェリントンが進空する事になる。

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