Fw200
1000馬力4発 363km/h
Fw190のクルト・タンク博士が設計した4発機。
1973年夏に初飛行した、元々は民間旅客機として開発された
機体。 当時は爆撃機として運用できる事を前提とした民間機が
多かったドイツにあって、純粋に民間旅客機として開発された。
東京やニューヨークへの連絡飛行を成功させるなど、民間機として
優秀な性能を誇ったが、時代の流れがその運用を許さなかった。
初期型から、輸送機に転用できるB型を経て、長距離爆撃用の
C型が開発される。 一般的にFw200はこのC型を指す事が多い。
このC型は4発ゆえの航続距離の長さを生かして大西洋沿岸に
配備され、洋上哨戒爆撃機として運用された。
大戦初期、イギリスは航空機兵力が逼迫しており、国の死命を
制する制海権の確保がままならず、大量の輸送船団が航空機の
傘を持たない航行を続けていた。
Uボートによる脅威とともに、Fw200もこの航空の空白空域に
出没し、イギリスへの輸送船団への大きな脅威となった。
1940年に26機が生産され、稼動機は10機にも満たなかった
Fw200が、大型船を含む85隻もの輸送船を半年あまりで撃沈
してしまった。 爆弾が無くなれば無線で近隣のUボートを呼んだ。
しかし輸送船団に、使い捨て戦闘機を搭載したCAMシップや、
本命の護衛空母が随伴しだすと、元々脆弱なFw200の損害は
ハネ上がり、たちまち行動できなくなってしまった。
その後は輸送機として細々と運用された。
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