Hs123



880馬力 343km/h
来るべきルフトバッフェの主要戦力と位置付けられた急降下爆撃機の
開発を計画した2段階の計画の中で、手堅い設計の第1段階の機体と
して開発されたのが本機である。
1935年に試作機が完成、複葉主翼の構造上の問題からその試作機が
空中分解したものの、構造を強化して1936年から部隊配備が始まった。
スペイン内乱に参加していたコンドル軍団の戦力として早速派遣され
急降下爆撃の有効性を示した。 本機には急降下用のダイブブレーキは
装備されていなかった為、近接航空支援に近い戦いぶりだった。
ポーランド侵攻時には、第2段階計画の本命Ju87が装備されていた
ものの、後の戦闘機隊総監アドルフ・ガーランドの乗機ともなった。
それ以降は後方任務や訓練に使用されていたが、戦線の拡大と共に、
有効な対地攻撃戦力、近接航空支援戦力として見直され、複葉固定脚
ではあるものの全金属製となっていた強靭な構造とあいまって、重宝
される機体でもあった。
後継機Ju87の充足とあいまって1938年秋には生産が終了して
いたが、後年1943年に生産再開が検討されるほどだった。
ただし生産用の治具自体がスクラップになっていた為に、生産再開は
断念されてしまった。
それでも、生き残った本機は1944年まで東部戦線の第一線に留まり
地上攻撃機として運用され続けた。


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