He51



750馬力 332km/h
1935年のナチスドイツの再軍備宣言に於いて、覆面を脱いだドイツ空軍
ルフトヴァッフェの初代主力戦闘機の座に就いたのが本機である。
第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約を密かに破り、1930年には開発が
始まっていた。 民間機の名目で作っていたHD系の機体をリファインして
出来上がったHe49を母体とした。 よって完全な軍用機でありながらも
スポーツ用の民間機として量産に入った。
同時期の戦闘機Ar64、65等に比べ、御しにくかったものの速度は勝り
主力の座を獲得できた理由は、鋼管羽布張り一部金属外皮、複葉で固定
脚という古い設計だが、機体形状は空力的に優れていたからだと言う。
1936年のベルリンオリンピックの観閲飛行の編隊は映像にも残されてい
るが、当時世界の耳目を集めた。
そして直後のスペイン市民戦争へコンドル軍団の主力戦闘機として参戦。
政府軍の旧式戦闘機を駆逐したが、ソ連軍がI15を投入すると劣勢となり
I16には手が出せなかった。 その頃にはMe109が戦線に到着したので
地上攻撃機として転用され、実質的に戦闘機としての運用は終わった。
ゲルニカ爆撃にも参加し、市民に銃撃を加えた戦績も残っている。
1939年までに100機近くの損失を出してスペインを撤収。
第二次大戦中は、もっぱら対パルチザンの地上襲撃機として運用された。

ドイツはなかなか得がたい実戦経験をスペイン市民戦争で得たものの、
結局スペインは、第二次大戦でドイツの参戦要請をノラリクラリとかわして
中立を維持。 ファシスト政権のまま第二次大戦を乗り切った。


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