DFS230



無動力 曳航速度210km/h
DFS(ドイツ滑空機研究所)は、第一次大戦の敗戦によって連合軍側と交
わしたヴェルサイユ条約によって、動力飛行機の製造が禁止された事により
設立され、無動力滑空機の製造を目指した協会が前身となる。
ここで開発されていた気象観測用のグライダーが、翌1933年にはDFS
へと移管され、軍用に供する為の改修に入った。 1937年にはドイツ空
軍高官の前で、かのハンナ・ライチェの操縦でデモ飛行に成功し、1938
年からは量産が開始された。
離陸時にのみ使用する主脚は空中で投棄し着陸は橇で行ったが、機体の性格
を考えればさもありなんである。
1940年、ベルギーのエバン・エマール要塞攻略に初めて実戦投入された。
この日飛び立ったのは、1機宛て乗員2名と完全武装の兵士8名を乗せた機
体が41機。 4個飛行隊に分かれた同隊は、鮮やかに要塞と、周囲にある
地上軍の進軍に必要な2か所の橋を制圧。 ベルギーの防衛線が破られた瞬
間だった。 容易にここを突破し南進したドイツ陸軍は、1ヶ月もしないう
ちにフランスの首都パリを占領する。
グライダーのみを用いた作戦で成功した数少ない成功例である。
クレタ島攻略のメルクール作戦では損害が大きく、より大型のGo242も
現れた為、少しずつバトンタッチしていく。 それでも小型の機体が重宝さ
れるムッソリーニ奪取などでは本機が使用され、成功を収めている。
画像は曳航されている本機だが、低速で有名なJu87が揚力を補う為なの
か少し機首上げで飛んでいるように見える。

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