九七式戦闘機



「ハ1乙」780馬力 470km/h
史上最高の軽戦闘機と言われるノモンハン上空の覇者。
当時出現していた海軍の九六艦戦よりも高性能だったと言う海軍の
パイロットの証言もあるほどである。
並み居るソ連空軍をノモンハン上空から駆逐したその威力は正に
軽戦の極致だった。 ソ連軍はノモンハン上空の戦いを「我が軍勝利」
と喧伝したが、公平に見てもソ連側の敗北は明らかである。
日本軍が敗北していたら、軽戦絶対思想がパイロット達に根付く訳が
無いのである。 その戦訓こそが最大の証人であろう。
本機は機体強度や安定性などにも優れており、多くのパイロットから
評価された。
撃墜された僚機のパイロットをノモンハンの草原に着陸し、胴体内に
収容して、ソ連戦車の迫ってくる中を離陸し、無事に帰還した例もある。
強度が足りなかったら出来ない相談である。
高高度を飛行中に酸素装置が故障しパイロットが気絶した。
高度が下がり、3000m付近に達した頃、やっとパイロットが気付いた。
その間、九七戦はゆっくり高度を下げつつ、まっすぐに飛んでいた。
安定性が悪かったら、原因不明で墜落しているだろう。
九七戦に陸軍のほとんどのパイロットが惚れ込んでしまっていた。
わからないでもないが、それ故、日本陸軍に軽戦絶対思想を植え付け
重戦への移行を遅らせる原因ともなった。
大戦初期には既に旧式化しており、ビルマやマレー戦線に配備された
機体も程なくリタイヤしていき、練習機などに変身したが、特攻が激化
すると、またもや矢面に立たされる事になってしまった。

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