二式飛行艇



「火星22」1850馬力4発 454km/h
太平洋戦争当時、日本海軍が実戦に投入した量産機の中で名機を3選する
ならば、「零戦」「彩雲」そしてこの二式大艇であろうと思う。
「零戦」は防弾に、「彩雲」が稼働率に、それぞれ問題を抱えた名機で
あったが、二式大艇は真に名機であった。
出現当時は、世界水準を抜いた第一級の飛行艇であり、終戦後の列強の
飛行艇ですら、二式大艇に比肩する飛行艇を見付けるのは難しい。
真に世界一の飛行艇であったと言っても過言ではあるまい。
なにしろこの機体、飛行艇であるにも関わらず、速度性能では中期生産型
までのB−17にわずかに劣る程度であり、航続距離はそれを上回って
いるのである。
その代償として、140km/hに及ぶ着水速度は、これまた世界でも
一級の速度である。 しかし、離着水性能はけっして悪い訳ではない。
また、総出力はB−29にこそ及ばないものの、B−17は凌いでおり
その上、飛行特性は優秀そのもので、防御火器も当時の日本機にしては
重装備であった。
ターボ過給器が無いため、高高度性能こそ劣るが、中高度までなら十分に
太刀打ちできる性能である。  日本がその気なら、二式大艇をベースに
した4発重爆撃機を生産できたハズである。
終戦まで各方面で偵察、連絡、索敵、哨戒、救難などの任務に従事して、
全滅に近い損害を受けながらも、多くの兵員を救出し、貴重な情報を運び、
攻撃隊を先導した。
また、12月8日の真珠湾奇襲以後、真珠湾を攻撃した唯一の機体でもある。
2機による夜間の奇襲だった為に、たいした損害は与えられなかったが、
搭乗員の勇気に見合った、特筆できる作戦行動と言えるだろう。
終戦時に残存していた機体の内の1機で、東京、御台場の「船の科学館」に
展示されていた機体は、海上自衛隊鹿屋基地の資料館に移設された。
また、その優秀な血統は世界一級の飛行艇、新明和PS−1哨戒機の
中に受け継がれ、脈々と流れている。

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