紫雲



火星24型1680馬力 468km/h
1941年12月5日に初飛行した川西航空機の水上偵察機。
1939年に立ち上げられた実用機試製計画の内容にのっとり発注を受けた機体で、
当時の日本で最強の火星24型を採用した。 このあたり雷電と似通っている。
「戦闘機以上の高速」が条件となっていたが、言うは易しやるは難しで、できうる限り
新機軸が導入されている。
二重反転プロペラ、層流翼、引込式補助フロート、主フロートの切離し機構、当時の
日本の工業力ではかなり荷が重かったに違いない。
しかし、いくら新機軸を盛り込もうとも、より高馬力のエンジンを積む生粋の戦闘機を
相手に速度を競える訳もなく、正式採用後も大量産には至らなかった。
試作機が15機作られたが1944年になってようやく紫雲専門部隊が発足し、直後に
少数機が南洋のパラオに進出したが、この頃で500km/hに足らない程の速度では
到底活躍などできようハズもなし。
そもそも補給線が切れかけている当該海域で、下駄履きの偵察機が役に立ったのか?
また、これほどの「新機軸」を完全に整備する事はできたのであろうか?
おそらくはいずれも「否」だと想像するに難くない。
実戦では、単純な主フロートの切離し機構すらも正常に作動しなかったという。
この機体の最大の成果は、後の水上戦闘機「強風」の下地になった事であろう。
試作発注する者達に先見の明がなければ、いくら設計者や製作者ががんばっても、全く
活躍できない飛行機が出来上がってしまうのだ。

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