特殊攻撃機 晴嵐(セイラン)


熱田32型 1400馬力 474km/h
艦爆彗星と同じ愛知航空機で開発された水上攻撃機。
彗星を少しスマートにしたような外観で、上から見た平面図では特に似ている。
潜水艦に搭載する為に極力小型の胴体にする必要から、同じ正面面積の少ない熱田系の
水冷エンジンを装備している事は、空冷エンジンよりも手間がかかるとはいえ良い措置
であったと言える。 
F6Fと同じ形に畳める主翼折畳機構を備え、日本機としては非常にコンパクトな格納
状態になっている。 潜水艦での運用を考慮し、暖気運転などを省けるように予熱して
ある水や油を使用できるようにされてあるなど各所に工夫が凝らされている。
さすがにフロートなどは機体と別に保管され、出撃時に取りつけされるようになってい
たが、緊急時には空中で投棄でき、その時は最大560km/hは出る予定だった。
これは熱田21装備彗星より高速で、同じ熱田32装備の彗星に匹敵する速度である。
本機は当然伊400型の潜水艦と共に運用されることを前提として開発されており、
主翼と尾翼の折り畳み時の最大径は、伊400型の格納シリンダーの大きさに合わされ
ている。 唯一の装備部隊第631航空隊は第1潜水隊に併設され、第一潜水隊の司令
が航空隊指令も兼任した。 航空隊を知らない潜水隊司令と、潜水艦を知らない搭乗員
では色々と無理があったのではないかと容易に想像できる。
最初はパナマ運河攻撃などという大作戦も構想されていたが、一応の戦力が整った頃に
は、既に太平洋にある米艦隊だけでもまともに相手にできず、たとえパナマを一時的に
使用不能にして大西洋方面からの回航をいくらか妨害したところで意味がない戦況に
なっており、効果が薄いことなどから中止にされた。
代わりに立案されたウルシー環礁への攻撃作戦は、半ば特攻作戦であった。
しかもその時には、偽装の為に日の丸を米軍のラウンデルに塗り替えていたという。
現場搭乗員の心情やいかにである。 その上これは国際法違反である。
結局、出撃海域での待機中に作戦中止命令が出て、そこで終戦となった。
晴嵐は搭乗員を乗せずに射出され、実質海上投棄された。
唯一の出撃はこうして終わり、8月29日帰途の海上で米軍の接収を受け、8月31日
横須賀帰港を前に伊401座乗の潜水隊司令有泉大佐は艦内で自決した。
画像は戦後に愛知航空機から接収された機体で、現在スミソニアン博物館で展示されて
いる機体の当時の姿。

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