この1機 <十試艦上攻撃機>
<九七式艦上攻撃機>
南太平洋海戦を経た後、実質的にはラバウル方面の増援の
為にいくつかの艦隊航空隊がラバウル周辺の陸上基地に
配備された。 もちろん九七艦攻も貴重な攻撃戦力として
その一翼を担ったが、「零戦の墓場」と言われるほどの
ラバウル、ソロモン、ブーゲンビル、の空で九七艦攻が無傷
でいる事はとても無理な話で、同じ艦隊航空隊の九九艦爆と
共に悲惨な戦況を戦わねばならなかった。
期間を通じて70機以上が配置された九七艦攻は、1年余り
でほぼ壊滅。 以後は補給すら滞ることとなった。
昭和19年6月のマリアナ海戦の頃には、新鋭の天山艦攻が
主力空母に配置されていた。 しかし既に旧式になっていた
九七艦攻も小型空母や護衛空母から運用可能な攻撃戦力と
して、いまだ艦隊配備されていた。
だが、マリアナ海戦時に日本機動部隊は約450機を搭載
していたが、艦攻戦力は約100機、しかしその内九七艦攻
はわずか18機。 海戦後の稼動機数はわずか数機だった。
日本海軍機動部隊の威力が次第に減殺されていくのに対し、
米機動部隊は着々とその陣容に厚みを加えていく事になる。
その後はほぼ第一線の艦隊からは姿を消し、陸上基地配備と
されたが、その用途が特攻攻撃に傾注されたのは言うまでも
無いであろう。
ただ一部に残った九七艦攻は、軍上層部がようやく気付き
はじめた海上輸送路の護衛に使用された。
とてもまともな第一線には出すことのできそうにない、低速の
改造護衛空母搭載機として対潜哨戒などにあたった。
また陸上基地にも配備され、長い航続力、偵察向きの3座
配置、高い稼働率で良くこなしたという。
磁気探知機や脆弱ながらレーダーを搭載してその任務に
就いた機体もあった。
主翼前縁にレーダーアンテナを装備した九七艦攻。
第一線で華々しくデビューし、最後は特攻機として散っていく
日本海軍機の悪い慣習に流された面もあるが、第一線を退い
てからも、海上護衛部隊の主力機として最後まで機体の性能
に見合った活躍をした面もある。
第一線を退いた後も最後まで任務を全うしたと言えるだろう。
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