戦略爆撃の生起


第2次世界大戦で連合国軍をなす国家の内、アメリカとイギリス
は特に戦略爆撃の重要性を認めていた。
それ故に両国では戦略爆撃機と爆撃理論の開発に早くから取り組
んでいた。 たとえばアメリカでは1934年に大型爆撃機の開発
指示が出されている。 これが後のB−17開発に繋がるのだが
1934年と言えば日本ではまだ複葉機から単葉機への過渡期で
あり、最高の軽戦闘機と言われる九七式戦闘機の開発もなされて
いない。 そんな時代に、排気タービン過給器を備え、3.6tの
爆弾を搭載し、強靱な防弾装備を持った4発の大型機を作ろうと
言うのである。 いかに戦略爆撃の重要性を認めていたかが想像
できよう。
後にアメリカは爆撃機の性能とその生産力にものを言わせたマス
プロダクション(マスプロ=大量生産)能力で、イギリスは悪魔のよ
うな爆撃理論の実践で、それぞれ世界をリードしてまずドイツを、
次いで日本を焦土と変え、多くの非戦闘員を業火の中に消し去って
いくこととなる。
戦略爆撃は結果的に軍人よりも民間人に多くの犠牲を強いるのだ。


    
初期の戦略爆撃機          機体集積所に集められたB−29
ドイツのゴータ爆撃機         写真の地平線は見えない。

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