日本爆撃 初期



2時間以上に渡る爆撃で数百人の死傷者が出たものの、
B−29の主目標である八幡製鉄所はたった1カ所が
被爆しただけで、ほとんど無事だった。
問題は空襲警報と同時に製鉄所の「火」を落としたこと
で、以後3日間は製鉄作業ができなくなったのであるが・・・
16日05:00、済州島レーダーからの「離脱中の敵機
西方150km」を最後に爆撃は終了した。
アメリカは大々的にこれを発表し、アメリカ国民は熱狂した。
日本での見出しは控えめな大きさだった。 同日のトップ
記事は、「米軍、サイパン島に上陸」だった。

この他にも、日本に対する初期の爆撃は特定の目標に対する
精密爆撃が行われた。
しかし10月初頭までの幾度かの成都からの爆撃爆撃はあく
まで前座だった。
第21爆撃兵団のB−29が10月12日にサイパン島に
到着、第20航空軍の隷下に入った。
第20航空軍は後に1000機以上のB−29を全てその
隷下に納める、恐ろしいまでの組織に成長する。
1944年11月24日、日本はいよいよ本当の戦略爆撃
を味わうことになる。


サイパン島イスリイ飛行場でタキシング中
のB−29。 高高度を飛ぶための翼前面の
防氷ゴムが良く解る。

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