日本爆撃 中期
2月25日、初めての大規模空襲が東京に加えられた。
172機のB−29が東京市街地を爆撃し、19万戸が灰と化
した。 そして月が変わって3月10日00:08、東京の東
部地域がまたもや、焼夷弾爆撃を受けた。
この日、マリアナ諸島を飛び立ったB−29は実に325機、
内279機が初の夜間無差別焼夷弾爆撃を敢行した。
83000人が死亡、26万戸が全焼、東京の2割の面積が
一夜で灰と化す空前の被害が生じた。
続いて12日に名古屋、14日に大阪、17日に神戸、19
日に再び名古屋と、主な大都市が爆撃にさらされた。
全て300機前後の大編隊によって行われた、夜間無差別
焼夷弾爆撃である。
この時期から無差別爆撃がエスカレートしていく。
言いたくはないが、戦争がある以上は民間人の犠牲が全く
無いと言うことはあり得ない。 それは事実である。
しかし、夜間に都市部の真ん中へ大量の焼夷弾を投下して、
一体何をしようとしたのか? 日本の生産の根幹を成す
中小生産施設の破壊と言う名目はあるものの、そんな
詭弁を信じる者はいないだろう。
いかなる理由があろうと、民間人の大量殺傷を正当化
することはできない。
昼間精密爆撃から夜間無差別爆撃への転換は、まさに
軍による民間人への虐殺行為に他ならない。
軍人のプライドを疑いたくなるこの行為こそ軍事裁判
にかけられて然るべき行為だ。
燃える大阪市街地。
多くの都市が同じ運命を辿る事になる。
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