その戦果4


ミッドウェーの悲劇も、この時期に攻撃を受けた為の負け戦だった。
この時、オマニー・ベイでもその悲劇が再現された。
次々に誘爆が連鎖し、手がつけられない状態となり、日没後すぐに
総員退艦が発令され、90名以上の戦死者と共に護衛駆逐艦の雷撃
で沈んだ。

2月21日の神風特攻第二御盾隊の攻撃は熾烈を極めた。
この時期にあての戦果としては目を見張る。
硫黄島東方で任務に就いていた歴戦の大型正規空母サラトガと
護衛駆逐艦の戦列に、直掩機の迎撃と対空砲火の弾幕をくぐり
抜け、第二御盾隊の内の一隊が突入した。
飛行甲板の前部に一撃、続いて1機が舷側に突入、瞬時に大火災が
発生する。 多くの機体が撃墜されたが、サラトガにとって不運に
も撃墜された機体の搭載していた爆弾が、スキップボミングの
効果によって舷側に2発も命中し、満身創痍となってしまった。
全艦をあげて消火に務めてやっと沈下した頃に、第2波が来た。
この隊は水平爆撃を行ったようだが、ほとんどが投弾前に撃墜された。
しかし、1発の800kg爆弾が飛行甲板とその下の5重の隔壁に
大穴を開け、艦内で炸裂した。
ところが、これ程に叩かれてもサラトガはまだ機能していた。
何と、上空を旋回していた艦載機を収容し、自力で戦線を離脱
してのけたのだ。
これ以後戦列に復帰することは出来なかったが、ビキニ環礁で
その生涯を終える迄、実に多彩な戦歴を飾った艦だった。
ちなみに収容された艦載機の中には、付近で行動中のビスマルク・シー
の艦載機が含まれていた。 自分の空母と間違って着艦したらしい。

サラトガが何とか助かった頃、そのビスマルク・シーが沈んでいた。
第二御盾隊の他の一隊が付近の6隻の護衛空母群に襲いかかり、
その内の1機がビスマルク・シーの後部舷側に突入。
さらに1機が飛行甲板に突入し、装甲の無い飛行甲板を容易に
貫通、内部で爆発した。 2機の突入を受けて、消火要員も大半が
戦死し、火災に手がつけられなくなった。
幾度か爆発を繰り返し、最後に艦尾が吹き飛んで致命傷を与えた。
これが第2次大戦を通じて、連合軍側で最後の戦没空母となった。


第2次大戦を戦い抜いた歴戦の空母「サラトガ」
元々巨大な煙突も画像のように小さめに変更されている。
60機前後の艦上機が見れるが、主翼の折り畳み方が巧い
為に、日本軍空母に比べてギュウギュウ詰めの感じがする。
米空母の搭載機数の多さの秘密の一つが、この主翼折り畳み
機構に拠るところが大きい。

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