航空機の運用と砲の運用


では、日本の戦艦群は何故役に立たたなかったのだろうか?
答えは、あまりにも「戦艦VS戦艦」の戦いに固執したからである。
ミッドウェーで空母が沈んだ時も、ガダルカナル島で激戦が展開されて
いる時も、日本の戦艦はほとんど敵を見なかった。
会敵した戦艦はいずれも、米軍のレーダー射撃の前に、永遠に沈黙させられた。
有効な攻撃と言えば、わずかに金剛級高速戦艦がヘンダーソン飛行場を
砲撃し、一時的に使用不能に陥れたにすぎない。
しかし、これが正しい戦艦艦砲の運用方法だったのだ。

もしミッドウェーの時、大和が空母に付随、あるいは前進して行動していたなら、
敵の急降下爆撃機の攻撃を相当引き付ける事が出来たであろう。
大和は傷付いても、脆弱な空母と違い沈みはしなかっただろう。
大和並の重戦艦ともなれば、急降下爆撃だけの撃沈は至難の業である。
ガダルカナル島に米軍が上陸した時、のほほんとトラック島に停泊していた
大和と武蔵がその戦闘に参加してれば、2万人の海兵隊を上陸させた輸送船を
片っ端から沈めたに違いない。
そしてガダルカナル島への補給ラインにこの2隻を主力にして配置すれば、
ラバウルとの間に少しはマシな補給ラインが築かれ、「飢島」などと言う
悲惨な言葉は生まれなかっただろうに・・・。

しかし、現実は違った。
この46cmの巨砲を装備した巨艦は、ただただ停泊しているだけだった。
これは明らかに運用する者の失態であり、無用の長物と言われる事すらある
2隻の戦艦の責任ではない。
レイテへの殴り込みも、その絶好のチャンスを逃してしまった。
一見、無謀に見えるが、戦艦の巨砲を有効に使う戦術は、これしか無かった。
結局、空母機動部隊の待ち受ける海域に突入させると言う、最悪の作戦で日本の
戦艦の歴史に終止符が打たれた。
その日が、硫黄島を基地にしたP51Dが初めてB29の護衛に付いてきた日
であるのは、あまりにも運命の悪戯としか思えない。
日本本土上空の制空権も連合軍が握るようになり、戦略爆撃が本格化する。
見事なまでの連合軍の航空機の運用である。


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