名機の弱点を見る


第二次大戦中には多くのレシプロ戦闘機が輩出され、その一部は
名機と呼ばれる栄誉に輝いた。 しかし、どんな名機にも必ず弱点や
欠点が存在する。 それを再確認してみたい。
そして、その弱点の理由は何であるか、わかる範囲で考えてみたい。

日本人はとかく「判官贔屓」であると言われがちであり、島国の民族
由縁か、自国の製品が最高であると賞賛しがちであるのではなかろうか?
それでは日本軍機からその弱点を探っていこう。

零式艦上戦闘機

名古屋空港内の展示機 32型


ここでは言い尽くされた「防弾装備の欠如」などと言う事は、あらためて
問題にする必要はないだろう。 実は他にも多くの問題があるのだ。

・量産性の欠如
零戦は日本軍機の中でも群を抜く大量産機である。
しかしそれは日本海軍が「零戦しか作る飛行機が無かった。」からであって
旧式化した後も、作り続けるしかなかったからである。
零戦の軽量化の重大要素である、フレームや肋材に開けられた多くの「穴」。
これが生産性を著しく阻害している重大要因である。
設計当時、零戦は艦載専用と考えられており、空母搭載用に約1000機
訓練等の補用に少数機の生産しか考えられていなかったのである。
まさか3年8ヶ月もの大戦争になるなどとは考えてもいなかった。
少数の生産=少数精鋭を考えた故の機体構造になっているのである。

・完成された名機
零戦は出現当時、戦闘機としてのバランスが完成されてしまっており、どこを
どう改良しようとしても、それは改悪につながってしまうのである。
例えば、エンジンのパワーアップをしようとしても、そのエンジンの重量を
支えるためには、機体強度が不足してしまうのである。
それをクリアーしようとすると、機体フレーム自体からの再設計が必要で
これではもはや別の機体となってしまう。
機体に改良の余地が無いのである。 これでは日進月歩で向上する当時の
航空機の性能に、太刀打ちするのは非常に無理がある。
機体設計自体は優れていたが、旧式化した後の用兵に問題があった。

・保命装備の不備
当時の日本軍の精神は「捕虜になる事は、恥。」であった。
そしてそれがエスカレートし「捕虜になるなら、死ね。」となる。
これがあきらかに間違っている事は、戦後の痛烈な批判が証明している。
さて、零戦は基本的に艦載機であり、洋上飛行を常とする。
陸上ならば不時着しても、即、命に関わると言う事はない。
しかし、海上に不時着したら、これは即、命に関わってくる。
捕虜になるかどうか以前に、生き延びる事が出来ないのである。
米軍艦載機にはゴムボートから救命キット、発信器、釣り竿まで装備されていた。
それらに対する零戦は、パイロットのライフジャケットだけが頼みであった。
しかもそれすら着用しない場合もあったのだ。
墜とされない為の軽量化のあおりを受けた訳だが、墜とされた場合を考えて
おかないのは、重大な欠陥であろうと考えられる。

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