Me262 シュワルベ
様々な型が伝えられているMe262だが、部隊規模で配備されて戦果を
上げた機体はわずかである。
戦闘機型A1a、戦闘爆撃機型A2a、複座夜戦型B1a、偵察型A1aU3。
の4機種である。 主翼下にロケット弾用のラックを装備した型をA1bと
称したが、基本はA1aと同じである。 他にも50mm砲を装備した機体や
緊急用のロケットエンジンを装備した型もあったが、実戦での戦果は確認
されていないか、皆無である。
偵察型を除き、ほとんどの機体が30mm機関砲を2門か4門装備しており
30mm機関砲は大口径砲ゆえに命中率は良くないが、多銃装備でその弱点を
克服しようとしている。 威力は非常に強力で当てる事さえできれば重爆にも
致命傷を与えうる威力を持っている。 ただMe262と重爆編隊の相対速度
の差は200km/hから300km/hもあり、射撃時間は非常に短い。
こればかりはベテランの辣腕パイロットでも克服しがたく、前方攻撃では
射撃時間は無いに等しい(相対速度は1300km/h以上になる。)為に
後方攻撃に切り替えての攻撃が主流となっていく。
護衛のレシプロ機の苦手とする高高度から降下して速度を付け(@)て、
一旦は爆撃機の下へ降り(A)、護衛機より遙かに多い運動エネルギーを利用
して再上昇、護衛機を振り切り(B)、重爆を攻撃(C)、護衛機の動きを見て
上昇か下降して逃げる。
初期のジェット機では、機体を左右に滑らせたり、急な機動を行うと、エンジン
の必要とする空気が流入しなくなったりして、コンプレッサーストールと言う
現象が起き、エンジンがフレームアウト(エンスト状態)してしまう。
現象自体は現在の戦闘機でも起こりうる現象なので、Me262なら尚更で
ある。 当時のレシプロ機の常識であった機動が出来ないばかりか、急上昇や
急降下もできない。 急な山道を車のトップギアでは登れないのと同じである。
限界以上の角度での急降下をすると、その非常な高速とあいまって昇降舵が
効かなくなり墜落する。 高速ゆえに旋回性能もレシプロ機ほど小回りが
利かず、大回りになってしまう。 短距離の加速性能も現在のジェット機と
違って全く見るべきものは無く、レシプロ機に置いて行かれる有様だった。
またエンジンは非常に大食いで、燃料の関係から航続時間も短い。
これだけの弱点が有るにもかかわらず、Me262が今日も語られる由縁は
その速度性能である。 当時のレシプロ機の限界といわれた700km/hを
軽く破り、レシプロ最強の戦闘機P51を手玉に取れるその速度性能は、
巡航で750km/h、最大で870km/h、降下時で950km/hに
及び、「30km/h速ければ優速を誇れる」と言う当時の空戦において
驚異的な速度差をつけている。
一撃離脱で上昇と下降を続ければ、追いつけるレシプロ機は無いのだが、
これに徹し切れない時、Me262も連合軍レシプロ機の餌食になる。
1944年11月8日朝、アハマー基地近郊での空戦で、エンジンが
フレームアウトした所を、第357戦闘航空群のジェイムズ・W・ケニー
少尉のP51Dのガンカメラに捉えられた、ノボトニー隊のフランツ・シャル
少尉のMe262。 少尉は爆発寸前に脱出して生還している。
撃墜者と被墜者、時間と場所、がはっきり残っているものは結構少ない。
空戦での撃墜となると尚更である。 そう言った意味でも貴重な1枚。
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