Me163 コメート


1944年7月、実戦型Me163B−1aが臨戦態勢に入った。
同月末、初めて会敵する。 B17とP51の戦爆連合に突っ込んだ
5機のベルタは1機も撃墜できずに、引き上げなければならなかった。
敵機との速度差が大きすぎ、機関砲の発射時間が無いに等しいのだ。
P51の護衛を突き破り、振り切るには必須の速度だが、こと攻撃に
際してマイナスに働くのはMe262と同じである。
一撃が強力な2門の30mm機関砲Mk108も、その発射速度と
ベルタの超高速度によって、なかなか有効な兵器にはなれなかった。
8月に入ってようやくベルタはB17の撃墜に成功した。
しかし、その撃墜劇を演じたパイロットのリル少尉は同月中にP51
の射弾を浴び空中爆発した。
連合軍機もMe163の航続時間のあまりの短さを見抜きつつあった。

同年11月には、JG400の基地に備蓄された燃料は、50機の
ベルタを打ち上げる分しか残っていなかった。
そして12月、生産中止が決定した。
C液を製造している唯一の工場が連合軍の爆撃で壊滅し、今後の
C液の供給の見込みが無くなったからである。
秋口には1826機を生産すると空軍上層部が大きな風呂敷を広
げていただけに、現場の落胆は大きかった。


主翼部と胴体上部を分解されたMe163。 
中央付近の銀色(?)の物体が後部T液タンクである。

1945年に入り、JG400に特殊なMe163が運び込まれた。
機首に鋼鉄の刃をつけたその機体の攻撃方法は、明らかに体当たり
であったらしく、実際に出撃もしたが失敗に終ったと言う。
この話を読み、戦後アメリカの開発したフライング・ラムと言う
体当たり用小型ジェット機を思い浮かべてしまった。
4月には真の秘密兵器が届いた。
主翼付け根に垂直に取り付けられたロケット弾発射装置は、自機が
大型機の下を通るとそれを光電管が感知し、瞬時にロケット弾を
打ち上げ大型機を撃墜すると言うものであった。
12機に装備されたが、撃墜が記録されたのはケルプ少尉のランカ
スター1機だけのようである。
しかしその4月下旬には、空軍司令部の命令でJG400の全ての
飛行活動は停止した。

Me163のマッハに近い高速度と、地対空ミサイル並みの上昇力は
とてつもない欠点と欠陥と危険によって得られた性能である。
異常に短い航続時間。 殺人的に危険な燃料。 不安定なエンジン。
降着装置の不備。 非常に危険な離着陸。 速過ぎる相対速度。 
ここまでパイロットの生命の安全を考慮していない飛行機は、日本
以外では珍しいくらいである。
しかし、その危険に挑み、戦い抜いた人々の勇気は賞賛に値しよう。
もし今現在、少なくとも民主国家の軍隊でなら、搭乗拒否されない方が
おかしいくらいに危険なのである。
単に、史上初の(そして今の所は最後の)実戦用ロケット戦闘機と
言うだけでなく、その欠点も全て覚えておいて頂きたい。
第2次大戦で使用された兵器系統の中で、以後現在まで類似品まで
含めても、実戦で一切使われていない兵器は、パッと考えてみると
ロケット機と核兵器だけである。





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