He162
1945年1月、計画開始から4ヶ月程で量産型He162が工場から
ロールアウトした。 異例と言うより、異常な早さである。
当初空軍上層部は、これにヒトラーユーゲントの15歳前後の少年を
搭乗させるつもりでいた。 テストパイロットから劣悪と評された
突貫製造の高翼面加重の機体。 それもいまだ信頼性の低いジェット
エンジンの機体に、グライダーで訓練しただけの少年を乗せるのだ
から尋常では無い。 太ったゲーリングあたりを狭いコクピットに
ギュっと詰め込んで、まず自分で戦爆連合に突っ込ませてみたい。
一部の高官の反対と、トップエースの一人ヴァルター・ノボトニーの
Me262での戦死、と言う事態が重なり、ヒトラーユーゲント案は立ち
消えた。 実現していたら恐ろしい結果になっただろう。
特に離着陸は難しい。 小さな面積による高い翼面加重。 エンジンは
スロットルを開いてから出力が最大になるまで15秒もかかったと言う。
ちょっと出力を上げて降下速度を制御しようとしても、出力が上がるの
は数秒先なのである。 初期のジェットエンジン、恐るべし。
実戦部隊での配備が始まり、最初の部隊がFw190から機種変更で
訓練に入ったが、その訓練予定期間はわずかに1ヶ月半。
いくら何でも急ぎすぎだし、この時期のドイツの燃料事情で1ヶ月半の
間に何時間飛ばせれるのだろうか?
着陸寸前だろうか、He162。 通称「ザラマンダー」
「ザラマンダー(火の精霊)」とも「フォルクス・イエーガー(国民
戦闘機)」とも呼ばれるHe162A2の小ささが良くわかる。
4月までにデンマークとの国境付近で作戦行動に入ったHe162
だが戦果については定かではない。
燃料事情が悪かった為に出撃できなかったとも言われるが、迎撃
で2機を撃墜した戦果があったとも言われてる。
どちらが事実か? それは歴史しか知らないことであろう。
今からでは正確に調べる事などできない。
ただ結果として戦略面から見れば、He162は残念ながら戦力に
ならなかったと言えるだろう。 He162に注ぎ込まれた労力と
国力と資材と時間。 それらの代償として「2機撃墜」では割りに
合わない。 戦争が長引けば・・・、とも思うかもしれないが、
終戦までに240機が生産され、終戦時800機が工場ライン上に
あったと言われるHe162だが、それだけの機体をまともに飛ばす
ことのできるパイロット、燃料、弾薬、支援設備はどこに有るの
だろうか? 耐熱金属の不足から来るエンジンの寿命はわずかに
数十時間。 テストしていたら寿命が来ましたなんて事もあったろう。
米軍に接収されたHe162。
戦後、連合軍は多量のHe162を接収し調査した。
短期間での無茶な設計でも、エンジン上部のアンテナで帰投方位は
わかるし、短いとは言えMe262に匹敵する航続距離はあるし、防弾
鋼板は装備している。 航続距離以外は日本機としては羨ましいほど
の装備である。
反面、手間のかかる儀装関係は考慮の外におかれている。
フラップは手動。 翼内燃料計は無く、その翼内の燃料タンクは何と
インテグラルタンク式で、兵器としてはどうだろうか。
足回りも極簡素に作られており、主脚の部品すらMe109からの完全
な流用である。
重心が後方に寄って尻餅をつく可能性が出てきたら、機首にオモリを
積み込む。 繊細な設計者なら耐えられない処置だろう。
平時なら主翼位置の見直しがあってもおかしくないが、当時のドイツ
にもHe162にも、そんな時間の余裕は無かったのだろう。
岩塩掘削場に設置されたHe162生産施設。 戦後の撮影であるが
ドイツが本気だった事を感じさせてくれる1葉だ。
結局、いくら量産されても飛ばないまま地上で撃破される機体が続出
したに違いない。 兵器は活躍などしないに越した事はない。
He162は活躍こそしなかったが、技術を後世に残した機体としては
存在価値があるに違いない。
朝鮮戦争以降、大型化の進むジェット機の中で、単発簡素なジェット機
の一群が活躍した事は事実である。
またハインケルだけでなく、ドイツとドイツ人の底力を後世に見せ付け
る役目も担ったに違いない。 アメリカですら、計画開始から1000機
の量産をかけ部隊配備するようになるには数年はかかるだろう。
それをわずか8ヶ月足らずでやってのけたのだから。
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