西部戦線1



5月27日、ダンケルクでは大急ぎの撤収作戦が始まっていた。
何せ37万人以上の英仏両軍の将兵を、ドイツ軍の制空権下で
イギリス本土に撤収させるのだから半端ではない。
装備は全部置いていく事になるが、貴重な人員だけでも何とか
撤収させるのだ。
ダンケルクの港には大型船がひしめいていたが、He111や
Ju87によって港内で沈められた艦船は多数に上る。
岸壁が爆撃を受けたので浜辺に逃げ延びた兵士達を、今度は
小型船の大群が収容する事になる。


He111もこの当時は優秀な戦術爆撃機だった。
それでも英空軍らの必死の防空戦で損害は発生した。
そろそろ息切れしてくる時期だったのかもしれない。


航続距離と速度が気にならない戦場では、Ju87は非常に
優れた急降下爆撃機だった。 

6月4日、ダンケルクからの撤退作戦は完了した。
33万名がイギリス本土に撤収。 内12万名はフランス兵だった。
一部の仏兵は撤退を拒否して捕虜となったものの、史上最大の撤退
作戦はまずまず成功したのであろう。
いずれにせよ、この撤退を阻止しようと活躍したのはドイツ機であり
成功させようと活躍したのはイギリス機であった。
フランス戦から続くダンケルクの撤退戦は、英仏陸上兵力にスポットが
当たる戦いでありながら、実際に矛を交えたのは両軍の空軍であった。
ダンケルク撤退戦は、初期の西部戦線に於いて初めての「大空戦」で
あったと言えるだろう。

そして6月14日、ドイツ軍パリ入城。
22日にフランスは降伏した。




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