ラバウル航空戦



日本軍は航空機に損害が出てもなかなか補給が来なかった。
また弾薬1つ取っても規格が一定でなく、零戦ですら20mmと7.7mmの
弾薬が必要であった上に、それぞれが通常弾や徹鋼弾、焼夷弾、などを
必要とした訳であるから大変だ。
米軍の航空隊は陸軍とも弾薬互換のつく12.7mm1種類だけで済むと
言っても過言ではない。 楽である。

太平洋戦争前、1000機程度しか量産計画の無かった零戦が、最終的に
10000機を越える生産量を達成し、数十機しか用意できていなかった
一式戦も5000機を越えるベストセラーとなった。
よくこれほど作ったものだが、裏を返せば作らざるおえなかったと言う事だ。
しかもこれらの数も連合軍側と比べるとまさしくケタ違いである。
それどころか友邦ドイツのMe109系列1機種でも3万機・・・。
これらの少ない航空機を、ドイツのように自国の東西の狭い戦域だけでな
く、艦隊戦力も含めて広大な太平洋にバラ撒いたのであるから、必然的に
密度は薄くならざるおえない。
しかも兵器や弾薬だけが不足したのなら、単に戦えなくなるだけであるが
衣食住、特に食料が不足してしまうと、戦わずして生命の危機に瀕する。
ラバウルでは有る程度は自給自足をするだけの余力があった。
それすらできずに、米軍によって補給線が断たれ、飢餓の島と化したのが
飢(ガ)島・ガダルカナル島である。
そして直後には、米軍の反攻拠点ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場が
本格的に始動し、補給の滞り始めたラバウルに襲い掛かってくる。

米軍による日本軍海上補給路遮断の重要な戦力は、これまた航空機。
これが日本軍航空部隊をいよいよ苦境に追い込むのであるから、全く
皮肉なものである。 零戦と1対1になれば勝負は見えている双発機が
1隻の輸送艦を沈めれば、零戦は部隊ごと動けなくなる。

場所はラバウル近海ではないが、超低空で護衛艦に対しスキップボミング
に入るB25。 こうした本格的な輸送船団狩りを日本軍が行った事は
ほとんど無い。 戦争後期に入ると、したくても出来なかったが・・・。


猛烈な水煙の中、全力で回避運動をする護衛艦。
戦前、日本の艦隊訓練で、艦長らの艦隊首脳が集まってあれやこれやと
艦隊の対空回避行動を談義していた時、爆撃機隊の隊長が招かれて一言。
「之の字運動をするくらいなら、全力で直進しつつ対空砲を集中して下さい。
 いくら回避運動をしても、飛行機から見れば止まっているも同じです。」
それでも必死に回避しなければならない乗員の心境は察するに余る。


航空機からの銃撃を浴びる戦時急造の油槽船(タンカー)。
船の事は詳しくは知らないのですが、この状況下でもあまり速度が出て
いるようには見えない。 それでなくても劣速の戦時急造船に燃料を満載
しては、これくらいの速度が限界なのか・・・。
焼夷弾が燃料に引火させれば、この船も無事ではすまない。
この船1隻が必死の輸送をしても、航空部隊はおそらく10日も行動でき
ないのではなかろうか・・・。


陸・海軍を通じて、日本軍が補給に感心を払ったと言う記述はほとんど
見受けられない。 戦争後半、わずかに海上護衛総隊と言う組織が海上の
輸送路確保のために組織されたと言うが、連合艦隊と同格とされたこの
組織の実体は脆弱で、装備された艦艇は旧式の駆逐艦やそれより遥かに
小型で劣悪な性能の海防艦と言われる戦時急造艦であった。
海上輸送路(今で言うシーレーン)確保のために2000機必要と言われた
航空戦力はほぼ皆無。 この微小な戦力からですら、連合艦隊に向けて
戦力の供出がなされたと言う。 最終的にはわずか数十隻の小型艦艇しか
残されていなかった。
この戦力でどうやって米軍の強力な機動部隊から、劣速の輸送艦隊を守れ
と言うのか理解できない。 当時の関係者の心境はいかほどだったのか。




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