東部戦線
ここまでの状況が続けばドイツ軍はまさしく無敵だったろう。
ところが地上においてT34戦車が就役すると、ドイツ地上軍の
矛先は大きく鈍り、結果として前線での滑走路を始めとする航空
拠点の確保の鈍化は、空軍の活動が十全にできない状況を招く。
また低い錬度が問題のソ連パイロットも徐々に技量を上げていく。
一部のソ連軍パイロットは猛吹雪の中でも飛び上がっていった
と言うから驚きだ。 日本で言えば、台風のさなかに飛び立つよう
なものである。 すでにそれらは一流の腕と度胸を身につけていた
と言えよう。
そのうえソ連でも次々と新型機が就役する。
その種類と量は非常に多い。
Yak、Mig、Lagg、以外にも、レンドリースのハリケーン、P39を
始めとする2線級欧米機はもちろん、中にはスピットやP51A
まで混じっていたという。
ソ連空軍のインシグニアを付けたハリケーン。
レンドリースの船団から陸揚げされた航空機は、それだけでも東欧
配備のドイツ空軍の総数を上回る膨大な量になる。
また冬将軍来襲と共に、ドイツ軍はその補給線の脆さを露呈。
訓練教官まで動員したJu52による物資輸送量はことごとく不足し、
前線の戦闘機群はことごとく稼動不能状態になる。
またそれを動かすべき兵士の衣食の確保すら難しくなってしまうと
もはや撤退か全滅かの二者択一をせざるおえなくなる。
飛べる航空機はどうにか撤退できたものの、地上軍は膨大な捕虜と
凍死者を出し大半が喪失された。
そうなれば錬度が上昇方向にあるソ連軍のパイロットにも活躍の場が
やってくる。 大量に生産される自国製新型機。 これまた大量に
運び込まれるイギリスとアメリカの「ご好意」。
こうなれば一気に形勢が逆転するのもうなずける。
反撃の尖兵の1機種であるIL−2、離陸準備。
厚い装甲と良好な操縦性を持つこの地上攻撃機は、比較的錬度の
低いパイロットでも扱えたと言う。 ドイツ地上軍にとって恐怖
の的であった。 制空権がドイツ軍側にあれば自由な戦闘はでき
なかったかも知れないが、制空権はソ連側に移りつつあった。
高速爆撃機Pe−2。 友軍が制空権を握った空での阻止爆撃機
としては優秀な機体で、後にPe−3双発戦闘機に発展する。
ドイツ軍が制空権を握っていた頃、同じ地上攻撃機のJu87や
He111が暴れていた事の裏返しの状況が起こっていた。
東部戦線のドイツ軍をポーランドまで押し返すパグラツィオン作戦。
圧倒的な数と、損害を省みないソ連軍の攻勢の前にドイツ陸軍は
敗退を繰り返す。 それに伴いドイツ空軍も後退を余儀なくされる。
クルスク戦のように一部反撃作戦も企図されたが、成功はおぼつか
ない結果となった。
ポーランド全域をソ連に奪われた(ポーランド人には迷惑な話だ!)
ドイツにとっての東部戦線はもはやドイツの東側の国境線だった。
この時期に至り、ようやくドイツ機の欠点の1つ、航続距離の短さ
が問題にならなくなってきてしまった。
迎撃機、Me262がようやくその顔を見せる。
Me262はどうしても対重爆戦闘とその護衛機との戦闘が強調され
るがソ連機との交戦もあり、当然ながら非常に大きな脅威になった
と思われる。 しかしやはり重爆を持たないソ連軍との交戦数は
米英軍に比べて少ない。 ドイツ東部国境が東部戦線となる頃には、
制空権は完全に連合軍に移っており、ドイツの防空戦力のほとんどが
昼夜の対重爆戦闘に向いた事から、ドイツ空軍と同じ戦術空軍として
の性格の強いソ連空軍は地上軍の支援に力を振り向ける。
ま、ドイツとの「痛い」空戦は米英にさせておき、自軍は地上軍を
支援して有利に進撃しようとしたのだろうと邪推したり・・・。
こうして、東部戦線がドイツ東部国境に移った後は逆に独ソの大規模
空戦は下火になる。
ドイツ軍の進撃に付随する補給線の不備。 戦略決定の二転三転が
作戦時期を遅らせ、作戦目的を無駄なものにした。 人口も国土面積も
数倍〜数十倍になる相手と消耗戦に入った。 冬季装備の不足。
側面・後方の枢軸側友軍の戦線崩壊。 上層部の不適切な作戦指示。
様々な要因と失敗が東部戦線を崩壊に導き、同時にドイツ空軍と
ソ連空軍の明暗を分けた。
しかし最も大きな失敗は、ソ連の底力を見誤ったバルバロッサ作戦の
発動だろう。 東部戦線の開戦を知った英首相チャーチルは、
「我々の最大の秘密兵器は、ヒトラーそのものである。」
と言ったという。
良くも悪くも、彼にはその時点で結果がわかっていたのだろう。
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