アフリカ戦線
1942年11月、アメリカを含む連合軍が北アフリカ西部に上陸。
東部のイギリス軍と呼応してロンメルのアフリカ軍団を挟撃する。
これだけの劣勢でありながらロンメルは半年もの間粘った。
しかし、1943年5月、ついにドイツ・アフリカ軍団は壊滅。
アフリカ戦線は連合軍の勝利に帰した。
アフリカ戦線はドイツに何をもたらしただろうか?
イギリスへの牽制になっただろうか?
イタリアは息を吹き返しただろうか?
いずれも答えはノーである。
イギリスへの牽制をする為に、みずから補給線の続かない戦線を
構築するなど信じられないし、頼みの(?)イタリアは莫大な人数の
捕虜を出してアフリカから退場していった。
ドイツは新鋭の兵器を含む大量の装備を消耗し、多くの将兵を失った。
つまり日本におけるガダルカナル戦のような、不必要に近い消耗戦
といったものであり、イタリアさえしっかりしていれば兵力を派遣
する必要すらなかったのではなかろうか。
戦略価値を考えれば、まだしもガダルカナルはアメリカとオーストラリア
の連絡の遮断という壮大な夢が見て取れる。
しかしアフリカ戦線に関してはそんな意図がまったく見えない。
最初は単に、頼りにしていたイタリアが不甲斐ないから喝を入れて
やろうか、的な理由が大きいような気がする。
それがついにはイタリアが退場した後まで独力で戦わざるおえない
状況になり、さらには多くの兵の撤退すらかなわぬ状況にまで陥って
しまったのだから、失った兵力から考えれば何と言う戦略価値の乏しさ。
イタリア軍が手の施しようが無いと判明した時点で、全兵力を引き上げ
戦線の縮小を図っても何ら問題は無かったのではないかと思う。
砂漠の上を行くMe109E/trop
機体上面の迷彩が結構効いているような感じがします。
F型や最新のG型が投入される中、旧式に近いE型も投入される
事になる程の劣勢。 苦しい台所事情を表した1枚。
戦後、ドイツを旅している日本人をドイツ人が見つける。
すると気前良くビールをおごってくれながら、
「 今度はイタリア抜きでやろうな! 」
と言って笑ったと言う話を、何かで見たような気がする・・・。
おそらくドイツの人も、アフリカの戦いを「何で?」と言った
疑問の目で見ていたのではあるまいかな?
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