西部戦線2
ドイツ空軍が連合軍に与えたショックの1つはMe262の投入だった。
連合軍最速の実戦機P51を150km/h以上上回る速度と、30mm
機関砲4門を持つ迎撃機は、爆撃機や護衛機の脅威となり、従来の
レシプロ機では奇襲をかけない限り捕捉すら困難だった。
しかし、そのジェット機ですら戦勢は覆せず、多数の連合軍戦闘機に
囲まれ、あるいは離着陸を狙われ、またエンジントラブルで行動困難に
陥った時に、Me262もが撃墜されていった。
しかもMe262専門の部隊ですら、燃料と機材の不足は覆い隠せず
飛行すら難しい状況に陥っていくのである。
左は被弾してフラットスピンに陥ったMe262。 同機の飛行特性では回復が困難と思われる。
右は機影が地面に映るほどの低空を逃げるMe262。 飛行困難なのか主脚を降ろし降伏の
意思表示をする寸前である。 初期のとは言えジェット機の性能でも苦しい戦況だった。
従来のレシプロ機の部隊でも燃料不足と機材の不足は同じだった。
Me109もFw190も必死の迎激戦を展開するが、1000機近い
戦爆連合に突入する機体は数十機出せれば上出来と言う状況だった。
この頃になると同数の部隊VS部隊と言う組織だった集団戦闘は散見
される程度しかなくなり、ほとんどが多数の連合軍機VSわずかな機数
のドイツ空軍機という状況になる。
ドイツの制空権は、ドイツ陸軍の後退と共に失われていくという、見方
によっては東部戦線と同じパターンに陥ったと言える。
日本軍が米軍に対して行いたかった、地上軍による飛行場制圧により
制空権を挽回する、と言う事をドイツ軍はされてしまったのである。
そしてドイツ空軍と日本軍航空部隊の違いは、日本は航空戦力を温存し
わずかだが反撃する機会を伺っていたのに対し、ドイツ空軍は、真実、
まったく行動できなくなる迄、連合軍航空兵力と戦い続けた事である。
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