北欧1
もしフィンランドが占領されれば、次は当然その隣国のスウェーデンと
言う事になるのは誰の目にも明らかだったから、スウェーデンは色々と
フィンランドに援助した。 身分を隠し義勇軍さえ送り出した。
多くの国が影に日向にフィンランドを支援したが、結局このスウェーデン
の支援が一番役に立ったという。
その義勇兵力の1つ、グラジエーター戦闘機。
イギリスなどでも相当数が運用されており、複葉機としては良好な
性能だったものの、やはり複葉機ゆえの限界に達していたようだ。
フィンランドのD21と比べると見劣りし、苦しい戦闘を強いられたが、
それでもスウェーデン空軍の最新鋭の機体だった。
フィンランド空軍は冬場の厳しい寒さで凍った湖を滑走路として
D21をゲリラ的に運用していた。
ソ連軍は1000を超す湖の全てを把握できず、D21の跳梁に
なかなか対抗できなかった。
しかしソ連軍には指揮のマズもあったが、物量もあった。
対フィンランド戦に投入された航空兵力はソ連全軍の極一部では
あったが、それでもフィンランド空軍の10倍にも上る。
フィンランド空軍は10:1のキルレシオを保ったが、これでも
戦勢は劣勢だった。
またソ連機は防弾鋼板を装備していたのに対し、D21にはそれ
が無かった。 防空用の戦闘機を増加させ、性能の向上を図る為
戦闘機を売ってくれるイタリアからG50を輸入しようとした。
ところが輸送の道中、ソ連の「友好国」のドイツがこれを見つけ
輸送を妨害。 わずかに届いたG50も北欧の寒さに耐え切れず
稼動不能状態に陥り、結局戦力にはならなかった。
イタリア製G50戦闘機。 フィンランドのパイロットによる
イタリアでのテストでは好評を得ていた為、D21の後継機と
して決定していただけに、その結果にはフィンランド空軍の
落胆も大きかった。
それにしても、G50を後継機として採用するくらいだから、
本来のD−21の性能も推して知るべしと言ったところか。
その性能の機体で勇戦した訳だから、いかにフィンランドの
パイロット達が精強だったかわかるだろう。
フランスはMS406などを、イギリスは複葉機などをを集めて
フィンランドに送り込んだが、MS406はこれまた寒さでまとも
には動けず、また複葉機ではまともな戦力勘定にならず、ついに
フィンランドは危うくなってくる。
そして陰日なたで援助していたスウェーデンが、直接の軍事援助を
停止した。 ソ連の爆撃機がスウェーデン領を「誤爆」したのだ。
開戦から3ヶ月半経過。 ゲリラ戦術で善戦したものの、フィンランド
空軍の戦いも限界に近付きつつあった。
また、もう少しすればさすがに北欧とはいえ湖の氷が解ける。
そうなれば湖を滑走路とするゲリラ戦術は使えなくなり、わずかな本物
の基地滑走路を使うしかなくなる。 フィンランド全土で数箇所しか
ない正規の基地に戦闘機隊を集めれば、そこに向けてソ連空軍が押し
寄せ、戦闘機隊が壊滅する危険が差し迫ってくる。
ここで、直接援助を打ち切っていたスウェーデンが、ソ連との講和の
音頭を取り始めた。
フィンランドはソ連との国境地帯の一部と歴史有る古都市の1つを
ソ連に割譲する犠牲を強いられたものの、何とか戦火は収まった。
フィンランド陸軍も地形や天候を利用した戦術で善戦したものの、
やはり伝説級の戦いを演じた空軍の輝きはそれを圧するだろう。
投入総兵力は、フィンランド空軍の250機に対し、ソ連空軍は何と
2500機。 まさに10倍。
損失はフィンランドの70機ほどに対しソ連の損失は実に800機に
迫る勢いであるという。
これ程の兵力差があれば、単純計算すれば、ソ連空軍は50機程の
損害を出した時点で、フィンランド空軍を撃滅できたハズである。
しかしフィンランド空軍は耐え切った。
ソ連軍のマズさもあったであろうが、到底それだけではない。
地理や気候を最大限利用したフィンランド軍の戦術の巧緻もあった。
そして何より、10倍の敵を相手にし、極寒の空で3ヵ月半戦い抜き、
最後まで士気を緩めなかったフィンランド空軍パイロットの心意気。
もしそれが無ければ、この3ヵ月半でフィンランドという国は歴史
から消えていたかも知れない。
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