公会堂#2
続く先導機が爆撃基準点に侵入を開始する。
同時に日本軍のサーチライトが照射を開始。 幾条もの光芒が闇を裂く。
1本の光がB−29を捉えると、次々に光の束が重なっていく。
B−29の機内は真夏の昼のようにまぶしくなる。
そのうちの1機が、脆弱と判定されていた対空砲火を浴び撃墜された。
この機にとっては、低高度爆撃が裏目に出たと言えよう。
陸軍を主体とした迎撃機が舞い上がる。
米軍に脆弱と判断されたと言え、日本軍が無抵抗でいる訳はない。
B−29の群れは2000m前後の高度で東京湾方面から次々に侵入。
陸軍第10飛行師団の夜間戦闘機は全力出撃。
横須賀鎮守府の海軍302空も夜戦を上げた。
しかし迎撃機の主力が舞い上がったとき、既に東京の東部は火の海で
あまりの煙の為に、東京上空での迎撃戦の展開を断念。
東京湾上空で待ち構え迎撃戦を展開したがそれすらも困難なほど、炎上
する下町の煙は酷かった。
一式150cm照空燈 と 八木式レーダーアンテナ
どちらも夜間迎撃の際の重要な装備となっていた。
煙で視界が遮られると、高射砲はもとより照空燈も用をなさなくなっていった。
自前のレーダーを持たない迎撃機にとって、視界の確保ができない事は
事実上迎撃不能を意味する。
高度600mで分解するE47は、38発のM69焼夷弾をバラ撒く。
M69の弾体後方にはリボン状の布が付いていて、落下時の低抵抗体と
なって弾道と姿勢を安定させ、落着時の貫通力(屋根を抜け、家屋内で
炸裂させるため)を上げる構造になっている。
E47が分解する時の発火炎がこのストリーマに付着し、布が燃えながら
落ちてくる。 これが「火の雨」の正体である。
落下するM69焼夷弾の「火の雨」
あなたはこの下に行けますか? この下にいた人達の内の何人が、この戦争に対して責任があったでしょうか?
勝ち負けではなく、戦争は「選んではならない選択」なのです。 絶対に選んではならないのです。
あまりの火勢にファイアストーム現象さえ発生していた。
炎の本体が到着する前に、その熱によって家々が焼かれていった場所もあった。
一部の風速は100mを超えていたのではないかとの推測もある。
ガラスが溶解するほどの熱量が発生した場所もあったことからその温度は最低でも
400度、悲壮な見方をすれば1000度を超えていたと推測される。
円形の建物が両国国技館。 まさしく焼け野原となった東京の風景。
これは70年前の現実なのです。 B−29の撒き散らす焼夷弾で、70年前の東京は
このような姿になりました。 現在の東京は、我々の先人がここから築いたのです。
3月18日、焦土と化した東京を昭和天皇が巡幸。
しかしそれに先立つ3月12日・名古屋、3月13日・大阪、3月17日・神戸が、
そして3月19日には再び名古屋が、B−29によって襲われた。
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