サンダークラップ作戦
ドレスデン爆撃が連合軍側でも非難を受ける要因の1つとなったのが、爆撃
の時間差による被害拡大=一般市民への虐殺行為、だからである。
1度目の爆撃で被害を与える。 それを消火したり、被災者を救助する為に
救助隊をはじめとする多くの人達が「爆撃後の市内」へ入っていく。
そこを、第2波の爆撃で叩くのである。
それにより完全に焼き尽くされた市内を、翌日さらに米第8空軍のB−17が
爆撃を敢行したのである。 戦略的に全く必要性が感じられない。
一晩で、銃撃で市民を何万人も殺せば、国際世論はどうなるだろう?
決して行為側にとって良い世論になるハズがない。 それは誰もが分かって
いるハズである。 ところが都市爆撃は、その「壁」を容易に飛び越える。
ドレスデン爆撃はまったく市民と避難民を狙った爆撃である。
爆撃地域内に操車場や鉄道施設は含まれているものの、爆撃により焼き尽く
された地域の多くは市民の居住地域であった。 もちろんその中には避難民
が寄り集まっていた地域も含まれる。
この生活地域では2〜3m四方に1発の割合で爆弾が落ちた計算になる。
あなたの3m横に爆弾が落ちたら、あなたはどうなりますか?
おそらくこの地域での生存者は皆無に近いのではないかと想像する。
廃墟と化したドレスデン。
エルベ河にかかる橋の位置から、まさに焼尽した市内の中心部である。
一見建物が残っているように見えるが、よく見ると石の壁が立っているだけ
である。 榴弾で屋根・壁に穴を開け、焼夷弾で燃やし尽くす。
東京大空襲と双璧をなす、通常爆撃による最悪の大量虐殺と言われる事もある。
どちらがより多くの人的損害が出たのか、今となっては正確には知れない。
今、1人の人間が道端で死んでいたら大騒ぎになるだろう。
しかし、戦時の写真を見ればわかるが、道端に「積み上げ」られた遺体を前に
大騒ぎしている人はいない。
一人の人間の命は、状況によってこうも扱いが変わるのだ。
自分の小さい頃の思い出を、何か思い出してもらいたい。
いつの時代でも、どこの国でも、どんな人種でも、その思い出と大同小異の
ものがあったハズである。 その思い出が、強制的に何万と消え去った。
平和な今なら、1人の命でも大騒ぎである。
しかし戦争になると、1人の命は誤差になってしまう。
万の犠牲が数字で語られるのみである。
しかし、その「万」を構成している「1」の1つ1つが、「誤差」の1つ1つが
強制的な人生の終焉という悲劇なのである。
どの爆撃で何人の犠牲者が出たか、だけを論じてはいけない。
どの爆撃でも、1つ1つの命が強制的に終わらされる、終わらされた事実こそが
重要だと思う。
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