DB601
通常のV型12気筒エンジンは、前方から見た場合各シリンダーの関係がV字を描く位置
にある。 Vの両直線がシリンダーで、その接点にクランクシャフトが配置されている。
DB601系の倒立Vという形式は、それが上下逆になった位置関係になる。
これの成した功績が、プロペラ軸内への大口径機関砲の搭載である。
倒立Vの形式はまさにこの為に最適の形式だったのだ。 この関係でプロペラシャフトに
はちくわのように中心に穴が開いており、その中を銃身が貫通する。
また、エンジン上面が比較的フラットにそして細くなり、パイロットに比較的クリアな前
方視界を提供する事にも役立っている。
左がDB601とほぼ同じ外見の後継エンジンDB605。 右は川崎がレストアした同
系列エンジンハ140。 プロペラシャフトに穴が開いている事と、そうでない事が見て
とれる比較的正面からの画像。
ハ40やハ140を装備する三式戦にはプロペラ軸内砲が装備されなかったので、わざわ
ざプロペラシャフトを空洞にするメリットは無かったと思われる。
倒立V型によるプロペラ軸内への大口径機関砲の装備は、翼内砲と違い弾道の交差調整な
どが不必要な事。 プロペラを機首装備の機銃が撃ち抜かないように必要なプロぺラ同調
装置なども必要でない事から、命中率は高く発射速度にも制限がかからなかった。
当時の航空機中の武装装備位置としては理想的な位置であった。
アメリカのP39なども無理をした設計でプロペラ軸内への機関砲を装備した。 しかし
無理をした設計ではやはり良い物とはならず、あまり良い評価は残っていない。
単発機で機首正面に制限を受けない大口径砲を装備できた功績は、やはりDB601によ
るところが大きいと言えるのではないだろうか。
DB601の全馬力を受け持つクランクシャフト。 右側がプロペラシャフトに繋がる。
強度などの関係から、当時はニッケルを混ぜたクローム・モリブデン鋼で製造するのが理
想だった。 しかしDB601の製造では貴重な戦略物資であるニッケルを使わず、クロ
ーム・モリブデン鋼の表面を窒化処理して硬化させる技術を用いて硬度を確保していた。
日本のハ40では、最初ニッケル・クローム・モリブデン鋼を用いていたものの、ニッケ
ルの確保が難しくなりクローム・モリブデン鋼に変更されたが、硬化処理が上手く行かず
折損が多発し問題となった。 そして最終的にはクロームすらも除去されたという。
こんな所にも戦略物資の枯渇、そして基礎技術=国力の差が表れている。
日本では手に余るほどの精緻なDB601ではあるが、ドイツではこのエンジンが一般的
な量産品として製造されていたのだから、基礎技術力の差が如実に出ていると言える。
それだけ完成されたエンジンである事から、DB601だけでもいくつもの種類の派生型
が作られており、ボアアップして少し手を加えたDB605の基礎ともなった。
エンジンの性格自体も、低回転でも馬力が出せるように高圧縮型になっているので、緒戦
から予想されていた、国力としての燃料事情の悪さにも対応したものと言える。
毎分2400回転で1100馬力を発揮するが、ほぼ同じ馬力を発生させるために、ライ
バルのマーリンエンジンでは約3000回転が必要であった。
さすがの技術力であるが、DB601自体の生産効率は決して高くはなく、全体的に整備
しにくい場所もあったという。 クランクシャフトの組み付けなどは丁度決まった場所で
ないと入らないくらい余裕がないという。 フィールドメンテナンスなどでは大変な苦労
があった場面も少なくなかったと想像できる。
ドイツ軍では、前線での整備は軽整備に留め、エンジンをバラすなどの重整備は後方の整
備拠点にコンポーネントごと送り返す方法を取っていたというが、特に戦争中盤以降にそ
の方法がスムーズに行えたとは思えない。
最終的には発展し続けたマーリンエンジンに差を付けられる結果となっているが、そこに
も、国力差と連合国側としての総合的な差があったと思える。
メッサーシュミット社レーゲンスブルグ工場に並ぶMe109Gに、後継エンジンである
DB605が装備されていく生産風景。 一番手前以外の奥の機体には、まだプロペラス
ピンナーも装着されていない。
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