小さな特集2



次は大阪か。

1943年8月、東京上野動物園に対して猛獣処分の指示が出される。
上のでは隠密裏に処分をした体裁をとっていたが、その事実は軍の情報操作
によって、お国の為に犠牲になった動物たちの「美談」にすり替えられ報道
された。 「次は大阪か? 天王寺動物園か?」と周囲は思い、園関係者が
いたたまれない心境になったのは当然であったろう。
翌44年にかけて、合計10種類26頭の猛獣が毒殺をはじめとする各種の
方法によって殺処分された。


園で剥製にされ、一時は展示されていたハイエナ。


飼育員にとても慣れていたトラ。 かなり細身であると思うが、やはり現在
よりも、ずっと栄養状態が悪かったのだろう。


ライオンなどは真っ先にリストアップされたに違いない。

トラの毛は戦場でのお守りになるとの噂から、色々なご婦人が、出征する
人の為に千人針などを縫い込む際に求めてきたので、関係職員がその都度、
毛を切り取り渡してあげたという。
千人針とは、主に女性が1枚の布を用意し、多くの女性に針を入れてもらい
数多くの縫い込みや結び目を作って完成させる、手製のお守りのようなもの
である。 物理的にはただの布であり、もちろん防弾効果などはない。
全くのうがった私見であるが、見送る人にとっては、当時の世情にあって、
精一杯の愛情表現であったのではないかと思っている。

また、動物園という言葉に対して、動かない剥製を展示していることから
静物園(せいぶつえん)と揶揄されたともいう。
猛獣たちが去った園には、犬、猫、ニワトリなどをはじめとする「動物園で
なくても見れる」動物達がいくらか収容された。

終戦時には127種類447匹の動物たちがいたという。
しかし、戦後も続く食糧難からくる栄養不足、燃料不足からくる冬の寒さ
に対する防備の不足などから、戦争を生き延びた者達の中からも、更なる
犠牲が出た。 特に鶴などは、終戦の年の冬に1羽を残して全滅したという。

大阪も東京と同じく、多くの空襲で徹底的に破壊された。
多くの人が亡くなった。
太平洋戦争における日本国民の犠牲者は、軍人200万人以上、民間人
100万人以上に上る。 実に当時の人口の5%前後にもなるのである。
生き残った人達は動物園の復活を願った。 色々な動物がゆっくりとだが
確実に増えていき今に至っている。 動物園がにぎわう世の中は、良い世の
中だとあらためて感じる。 人も、動物も、お互いが幸せでなければ成り立
たない関係だと思う。

だから、と言うわけではないが、犠牲になった動物達がいた事もたまには
思い出す必要があると思う。 



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