SB2Cヘルダイバー



1900馬力 475km/h
試作発注から量産機の配備までかなりの期間を必要としていることから
開発段階ではかなりの問題児的な機体であったろう。
基本設計にかなり無理があり、見てのとおりかなり短い胴体に対して、
見ただけではわからないが、P40の主翼を無理矢理流用して取り付け
ている為に、根本的に急降下爆撃が必要とする横安定性が不足して
おり、実戦配備後には主脚強度のトラブルが発生している。
後席の旋回銃も「どこに向けて射つの?」と聞きたくなる程の射界しか
なく、どうやったらこう言う設計ができるのか理解できない。
特徴としては、同時期の急降下爆撃機と同じく、爆弾を胴体内爆弾倉に
収納し、スイングアームによってプロペラ圏外に送り出す方式を採用して
いる所であろうか。 主翼下にも爆弾やロケット弾を搭載できるように
なっており、前方固定20mm2門、旋回7.62mm2門と重武装。
実戦配備が遅れたため、配備時には既に高性能機ではなくなっていた
が、1943年11月のラバウル方面への出撃で初陣を飾る。
この頃は日本機の反撃も少なくなってくる時期であり、制空権も米軍の
手中に入り始めたので、それほど性能には拘らなかったのかも知れない。
しかし、投入された数は「高性能機・彗星」より遙かに多く、F6F、TBF、
と艦載機トリオの一角として、米軍の物量を体現している。
戦後フランスによって運用された一部のSB2Cは、フランスが関与し
終戦わずか1年後1946年に始まった第1次インドシナ戦争に投入され
最期の実戦を戦っている。
この戦争は後年のアメリカ対ソ連のベトナム戦争の呼び水となりました。

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