P61ブラックウィドゥ



2100馬力 692km/h
ヨーロッパでの電波戦争を目の当たりにした米軍は、1941年に
ノースロップ社にレーダー装備夜間戦闘機の開発を発注した。
1942年には原型機が初飛行するが、その前に既に大量の発注が
なされていた。
1943年にはすでに先進の機上邀撃レーダーSCR720を装備
して部隊配備され始めた。 
胴体下面に前方固定20mm機関砲4門、背中には12.7mm機銃
4門を備えた遠隔銃塔を装備。 その火力は群を抜いている。
ヨーロッパ戦線に初配備された後に太平洋戦線にも投入されたが、
ヨーロッパ戦線ではほとんど戦争の先行きが見えていた上に、夜戦と
しては他にも数のある機体が存在した事や、ドイツ空軍の活動が
低調になってきた事から、本格的な夜間迎撃を行う機会はなかった。
太平洋戦線でも、日本軍が米軍の基地を攻撃しに来ると言う機会は
そう多くは無く、やはり夜間迎撃の性能を見せ付ける機会はなかなか
無かった。 それでもフィリピン戦の頃から徐々に威力を発揮し始め
沖縄占領後は沖縄への夜間攻撃を敢行する日本軍機を迎撃した。
大型機の割りに高速で、本機を振切れる日本機は無かったと思われる。
闇夜の海上で月明かりだけを頼りに、400km/h程度で3次元機動
を強いられる日本軍機の搭乗員がP38と誤認して報告する例もあった
ようだが、その誤認の元は本機だと思われる。
出力、武装、電子装備などの面を総合的に見て、おそらくドイツの
He219に匹敵する程の性能を持つ本機であったが、活躍の場は
あまり無かったと言えよう。
もっとも、軍用機など活躍しないに越した事は無いのだが・・・。

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