L−4 グラスホッパー



65馬力 137km/h
1930年に初飛行した20馬力の機体を始祖とした機体で、1941年に
アメリカ陸軍航空隊の、民間用の軽飛行機を観測機に転用する計画で候補に
上がったパイパーカブJ3とほぼ同じ機体構成のO−59、これが1942年以降
L−4と改称された機体が本機「グラスホッパー」である。
民需用と軍用でも搭載機材の変更程度しか違いがないので、対日戦開戦後は
民間の機体も多く徴用されたと言う。
専用機を開発していた各国軍に対して、民需転用なのでロスがなく、価格も抑
えられすぐに数が揃うという、ある意味「戦略的勝利」な機体ではなかろうか。
前線で使える便利な機体として、直接戦闘以外のほとんどの任務に従事した。
戦車や歩兵のすぐ上を、お互いの表情がわかる程の高度で飛んでいる写真も
残っているが、地上戦力の側からみれば、はるか上空の爆撃機や、すぐに見え
なくなる戦闘機よりも、心強いという側面もあった。
機体としては、小さな改良以外の基本的な外見は後継機に至るまでたいして
変化がないので、ある意味完成されていたといえる。
最終的には各型合わせて、5500機もの機体が納入されている。
さすがはマスプロ大国である。

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