SB
860馬力2発 423km/h
機体名称ともなっているSBとはソ連空軍で「高速爆撃機」を
意味するコードで、日本軍からは「エスベー」と呼ばれていた。
1934年末に試作機が初飛行した本機は、当時としては高速
爆撃機の看板にふさわしく、戦闘機を振り切れる速度性能を
発揮し、スペイン内乱やノモンハン事変、日中戦争に投入さ
れて気勢を上げた。
日中戦争では中国軍で運用された本機が日本軍基地を度々
爆撃し、将官クラスの指揮官にも重傷を負わせる戦果も上げ
ている。 日本軍の手薄な警戒網にも助けられた事もあろう
が、在空中の九六戦では追いつけなかったという。
後には1000馬力級エンジンにまで換装強化されていったが
当時の日進月歩の勢いの航空技術は、否応なく本機を旧式
な機体としてしまい、第二次大戦に突入した頃には既に高速
ではなくなってしまっており、緒戦のソ連の大敗時にはいまだ
に使用されていたものの、既にドイツ空軍の敵ではなかった。
本機は戦前にチェコでライセンス生産されており、ソ連機の
中で最初に外国でライセンス生産された機体となった。
当時にあって、ソ連機をライセンス生産したのだから、よほど
コストパフォーマンスが良かったのだろうとか考えたり。
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