Po−2



115馬力 152km/h
U―2と称されていた、1928年に初飛行し、1929年に量産の
始まった本機は、最初は練習機として予定されていたが、その他にも
様々な用途に使える事が実証され、軽多用途機へと変身した。
第2次大戦後も使用され続け、朝鮮戦争でも夜間ながら実戦投入され
夜間擾乱戦を展開。 国連軍を悩ませた。
第2次大戦までに既に13000機が生産され、最終的にはライセンス
生産なども含めて40000機以上が生産された。 複葉機としては
空前絶後の生産機数で、今後も記録が破られる事はないだろう。
複葉鋼管羽布張固定脚と完全に第1次大戦当時の姿だが、それ故に
不正地での運用の容易さ、操縦や整備のしやすさ、は歓迎された。
何機あっても役に立つという、理想的な軍用機の1つの形態だろう。
最初、複葉の上下の主翼は互換が利く設計となっていて、上下どちら
にでも付けれるユニバーサル設計だったが、性能の低下が大きかった
ために、通常形式に戻されている。
スターリングラード戦の折には、既に軽爆撃機として実戦投入され、
ベルリン包囲戦においてもやはり軽爆撃機として運用されていた。
その間にも小型輸送機、傷病兵輸送機、偵察機、連絡機、観測機等
として運用され続けた。
傷病兵輸送時は、胴体の両脇に全長2m程の流線型の木製機材が
取付けられ、その中に横たえられた傷病兵を文字通り「空中輸送」した。
わずか110馬力のエンジンで、よくぞここまでと思う。

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