文集1−3
ふるさとわが町 ( 小学校時代 )
中国と北朝鮮の国境を流れる鴨緑江の河口に新義州と言う
町がある。 平安北道の道庁所在地で今はシンイジュと呼ぶ。
朝鮮戦争のとき米軍の爆撃で破壊された鉄橋がまだそのまま
残されているのを NHK の映像で見た。
付近は私の少年時代の恰好の遊び場であり、学徒の野外訓練
の戦場でもあった。冬は厳寒の中で夏は親に内証で江岸で泳ぎ
筏の上でつりもした。
堤防の草花は今も変わらず咲いているだろうか。今は行けな
いが故に、ひとしお郷愁をあおりたてる。
( 昭和62年元旦 )
忘れ得ぬ味 ( 京都で )
大学時代、京都の北白川で下宿していたころ、ろくに勉強も
しなかった私だが冬の夜長も12時近くになると、腹がグルグル
鳴り出して自然と銀閣寺電停近くの屋台に足が向く。
その屋台のラーメンの味は今も思い出すだけで頬がゆるむ。
油っこい骨付きブタから炊き出したスープにねっとりした麺の
舌触り、香辛料がよく効いて最初の一口でからだ全体が甦る。
今もまだ屋台があるのだろうか。
( 昭和63年元旦 )
思い出の連絡船 ( 四国への旅 )
昭和31年8月11日 晴れ。 小生の初めての独り旅。
宇野を出航した宇高連絡船は鏡のような海面を高松に向かう。
今治、松山を経て堀江港から再び連絡船で終戦記念日の広島へ。
この航路は肩を寄せ合うような大小島々が夏独特の水蒸気に
包まれ、内海でも有数の多島海美を見せている。
瀬戸大橋ができたが、四国への旅はやはりゆっくりと景色を
楽しませてくれる海路に限る。
( 昭和63年8月 )
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