文集19 鴨緑江の断橋

 昭和25年に朝鮮戦争勃発、アメリカ空軍は中朝国境の鴨緑江に架かる鉄橋を中国軍の陸上輸送を絶つために爆撃した。大型帆船航行の便を計った国際的にも有名な中央開閉の美しい橋であったのだが・・・・・。今 “断橋”として破壊されたままの姿を残す。明治4411月に日本が植民地時代に完成したもので、いろいろな意味で全世界の注目を集めると同時に中国側の観光地として今訪れる人多い。もう一つの新しい第二鉄橋(新橋)は冒頭に述べた中朝友誼橋で昭和18年にやはり日本が第一鉄橋の約100m東に平行に建設したもので、破壊された部分を完全に修復して平壌・北京間の重要な輸送路としている。列車も大型トラックも通っていることはよくテレビで放映され周知のことと思う。

2009年8月5日、終戦記念日を前に、鴨緑江クルーズを含むツアーに参加し63年ぶりに丹東(旧安東)を訪れた。「丹東・瀋陽・長春・ハルビン・大連6日間」の最初の訪問地である。

折も折、北朝鮮のミサイル発射、次いでクリントン元アメリカ大統領が平壌(ピョンヤン)に電撃訪問し、拘束された2人の米女性記者を連れ戻すニュースを聞いて関空を飛び立つ。もしこの件で米朝間に何かが起こったら・・・・と胸騒ぎがしないでもなかった。 大連空港は、今厳しい。多民族社会であるが故のテロ対策、日本からの新インフルエンザの水際作戦で厳しいチェックを受ける。

やっとと云うか、無事と云うか出口を通過すると現地の中国人ガイドが出迎えてくれた。流暢な日本語で一安心。高速バスに早速乗り込んだ。オンボロバスを頭に描いていたので良く整備された高級バスにまず驚いた。以前一般道路であった大連・丹東間には、黄海海岸に沿って片道2車線の「丹大高速」が北京オリンピック前に完成し、ただ1か所だが皇帝を迎えんばかりの飾られたトイレを備えた大孤山サービスエリアにまた驚いた。数年前までは砂埃を巻き上げ67時間もかかり、やっと見つけたトイレが隔壁もなく古代遺跡に見られるような超原始的なトイレでご婦人達が用をたすのに困ったと聞いていた。今は3時間半。日本からも、大連まで飛べばその日のうちに丹東・鴨緑江まで行くことができる快適な高速道路だった。

丹東に着いたらまず錦江山(旧鎮江山)公園にバスを止める。旧安東神社の鳥居は中国風に絢爛たる飾りで様変わりしていた。小高い丘の展望楼まで約400メートル石段を登らなければならない。可憐な20代のガイドさんに「登りますか?」と聞かれた。ここまで来れば、錦江亭の展望台に一気に駆け上がる元気がわいてくる。大陸性の快適な夏のはずだが、地球温暖化のせいか全身に汗の噴き出る猛暑、益々身が引き締まる。今まで味わったことの無い、しびれるような感動!63年ぶりに登る錦江山、展望台から見る鴨緑江・2つの鉄橋・丹東市街。小学校6年まで住んでいた対岸の新義州の王子製紙の高い煙突は以前と変わらない。しかし煙が出ていない。

鴨緑江の断橋

鴨緑江は国際的にアリナレ河、アムノッカン、ヤールリバーともよばれる。海抜2,477メートルの長白山(旧白頭山)から790km西に流れ黄海に注ぐ植民地時代に日本屈指の長河であった。上流で伐採された木材は筏となって下流の新義州に運ばれ王子製紙工場で製材、パルプに加工される。戦時中奉仕活動に行ってご褒美に黒パンを貰って帰った記憶がよみがえってくる。この辺りは日露戦争の鴨緑江渡河作戦の舞台でもある。
 上流に水豊ダム(70万kw)が昭和174月に完成、当時私は小学2年生だったがその頃からダム下流の凍結がみられなくなった。その結果、水運上好結果をもたらした反面、氷上のスケート場、そりなどの風物詩を過去のものにしてしまった。マイナス2030度にもなる厳冬の氷上にアンペラと云う暴風壁で周りを囲み、スピード・スケートを楽しむ。中国人のおじさんのことをニーヤンと云った。そりで、対岸の安東までニーヤンに運んでもらってロシア料理を家族で食べによくでかけた。凍結しなくなってからは渡し船で往来した。夏は、親の目を盗み江岸で泳ぎ、釣りの好きな父と筏の上に腰を据え重い鉛を下げてウナギを釣った。学校から鉄橋を歩いて対岸の鎮江山まで遠足(当時は行軍と云ったが)した思い出の多い鉄橋、今は“断橋”となったままで通れない。

2日目の朝、広島で平和記念式典の執り行われているちょうどそのころ、観光船上で断橋を目の当たりにしながら戦争の犠牲者に黙とうを捧げ、まさしくこの江岸から終戦1年後の昭和21822日に小型木造船で脱出し、内地に引き揚げることができ今の自分があることに感謝した。広島の原爆ドームと同様に中国と北朝鮮が空爆の弾痕をやはり平和を願って“断橋”として保存しているのである。北朝鮮の岸に近付きカメラを向けると、以前は北の兵士が威嚇射撃をした時期があったと聞くが、今はその気配は全くなくのんびりと23人の兵士が座ってところどころに警備をしているのが見られる。板門店のような国境の緊張感はほとんど感じられない。堤防と岸辺は自然のままで市民の憩いの場所となっているらしい。それに比べ丹東側は高層建築が林立し江岸の公園の家族ずれの観光客で一杯だ。日暮れと共に夜は新義州市内が真っ暗、安東はイルミネーションで街全体が宝石のごとく輝いている。明らかに経済状態を物語って興味深いが気になる。
 わがふるさとへの旅は終わったが、各所に残る旧満州の満鉄時代の堅牢にして優美な日本近代建築・偽満州帝国・世界遺産瀋陽故宮等の歴史の旅でもあり充実した6日間であった。最後にハルビンの繁華街 中央大街(キタイスカヤ通り)を歩いていると大きなスクリーンに先日世を去ったマイケル・ジャクソンの映像が映し出され、悲壮な歌声が響いて大勢の若者がたむろしていた。欧米化のかなり進む現代中国を象徴するシーンをかいま目にした。松花江の夕暮れの西日を浴びながら最後の夜をハルビン・スターリン公園で過ごし、今夜のロシア料理の席に向かった。
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