阪本清一郎『回想録』より
「私は始めて穢多と云ふ語を覚へ、自分は穢多に生れたと云ふことは、丁度七、八才の小学校入学してから間もない時であった。一般(外村)の上級生からは云ふ迄でもなく、信頼している先生さへも差別の目を以ていた。学校から帰ると常に母に質した。穢多と云ふ事はどんな事か、なぜ私等の者丈けがキラワレタリ、井ジメラレタリスルのか。それハ自分等の先祖は穢多であったからだ。皆因縁事だ。勉強さへしてエラクなったら、そんな事はなくなるのであると、常ニ涙ながらにきかされた。小供の私には、この因縁と云ふ事はどんなことであるのか、全々解せなかった。」(阪本清一郎『回想録』より)
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