大和郡山市医師会広報指定席
自己新記録
熊谷直和先生



 若い時には、がんばれば、勉学でも運動においてでも、自己最高記録がおもしろいほど簡単に達成出来る時期もありました。達成した自己新記録が、新たな気力を産み、自分自身をさらに前に進める活力にもなるわけです。

しかし、年を重ねるにつれて、体力も低下し、自己新記録は、そう簡単に出せなくなりました。しかも、自己新記録を狙おうという対象が狭まり、しまいには仕事面以外にはその対象がなくなりました。

自分の人生を90年とすれば、調度折り返し点に立った45才頃には、仕事の面で、数字の上の自己新記録どころか、頭打ち感、閉塞感が強くなりました。緊張感が薄れ、マンネリ化に陥ってきていました。老眼の出現そして増悪も追い打ちをかけました。運動不足からの体力低下にも、いろんな場面で、否が応でも気付かされる事が多くなりました。明らかに体力と気力は密接に関係し、体力の低下と共に気力も衰えてきている。やばい!

スポーツクラブへ行く頻度を意識的に多くするようにしました。そこでの運動は、数qのランニングとマシーンを使ったウェイトトレーニングでした。でも、特に目標がある運動ではないので、達成感を感じる事も一度もなく、気力の充足という面では、不十分でした。

そんなことを感じだし、行動しだした約半年後の平成18年新春の事です。大学の親友からの年賀状が私のライフ・スタイルを一変させてくれました。その年の3月にハーフマラソンに挑戦するので、一緒にでないかという誘いでした。およそ二ヶ月の間、マラソン用のどんな練習をして良いかも分からず、とりあえず1回辺りの走行距離を5qに延ばして走りました。最後の一週間くらいは、7〜8qを走りましたが、結局レースと同じ距離どころか、その3分の1くらいしか走った経験がないままの初ハーフマラソンでした。

この記念すべき1回目のハーフマラソンは、平成18年3月に京都嵐山の河川敷の折り返しコースで開催されました。16qまでは快調に走れましたが、その後突然足が重くなり、息が上がり・・・・最後の数キロメートルは、歩きを入れながらの何とかの完走でした。それでも、初ハーフマラソンのタイムは、1時間55分でした。翌日は、診察室でもイスから 立ち上がるときにつかまり立ちをしないと立てないような両足の激痛でしたが、力を出し切って、その結果完走できた達成感と2時間を切れた喜びで、逆に私の体を心配して下さる患者さん方にレースの模様を自然に楽しく伝えてしまっていました。自分で楽しく、熱く語れる話は、患者さんも楽しんで聞いて下さるというあたり前のことを再確認して、自分が達成感を糧に精神的に元気な状態で診療に当たるのは、患者さんにとっても良いことなんだと、走る事を正当化し、現在に至っています。

これがきっかけとなり、かなりの楽天家の私は、その3ヶ月後にフルマラソンに挑戦し完走しました。さらに周りを驚かせたのは、フルマラソンから1年6ヶ月後に今度は、100qの距離を走るウルトラマラソンに挑戦し、完走しました。

今では、大体1年間でハーフマラソン3〜4レース、フルマラソン4〜5レース、ウルトラマラソン3レースのペースで出場しています。今までの自己新記録は、下記の通りです。

ハーフマラソン  1時間46分52秒

フルマラソン   3時間50分13秒

ウルトラマラソン 11時間58分7秒

現在まで、フルマラソン以下の距離のレースは、関門に引っかかることなく、すべて完走してきましたが、ウルトラマラソンは別です。練習量、体調、気力すべてがそろわなければ、完走できないレースが大半です。

その中で、過去3回挑戦して、まだ一度も完走出来ていないレースがあります。それが、長野八ヶ岳で毎年5月に開催される野辺山ウルトラマラソンです。

コース図を載せました。このとんでもない標高差、アップダウン、高地故の空気の希薄さ、現地で走り出すと、図では表現しきれない厳しさ満載のタフなコースです。でも自分の中で、この日本一過酷と言われているこの野辺山を完走しての初めて真のウルトラランナーと自慢でき、大きな自信にもつながると思っています。

このレースの時期は、秋から始まるその年のマラソンの最後の方のレースなので、疲労などが溜まり、故障することが多かった。1回目は、直前に大腿の肉離れを起こしてしまいました。痛み止めを使いながら、根性で69q地点まで走りましたが、制限時間に達し、タイムアウト。2回目は、脛の疲労骨折に近い状態で、このときも、痛み止めを使いましたが、同じく69q地点で、制限時間切れでリタイアしました。

3回目の昨年もこの脛の古傷が痛みレース直前2週間が全く練習できない状態で、ゆっくり駆け足するだけでもひびいて、痛く・・・・角谷先生を訪ね、無理にこちらからお願いして、トリガーポイントの注射をしてもらいました。そのおかげで、昨年は少し走行距離を伸ばし、初めて皆が地獄という馬越峠に挑むことが出来、峠も無事に越えました。75qから79q地点までの4qの間に450m登るという地獄の峠!それまでの疲労困憊を根性だけで補い、馬越峠を48分間で登ったのですが、他の完走ランナーは違いました。私をどんどん追い越していったので、おそらく時速6qくらいで登っていたのだと思います。精一杯がんばったのですが、結局85q地点で、14時間経過しタイムアウトで、またまた完走できませんでした。

今年こそは、初完走して、ゴールタイムの記録を残し、この野辺山での自己新記録を達成し、その記録を目標に来年以降もまた挑み続けたいと思います。

平成25年5月19日 午前5時が、レースのスタート時間です。

なにがおもしろくてやっているの?と言われたらそれまでですが、自己新記録の先に得られる大きな喜び、自信・・・・そういうもので、また日常の生活、仕事に元気に明るく弾みをつけてがんばって行きたいです。

 


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