金大中大統領の下で文化振興策が進み雨後の筍のごとく次々に俳優が教育輩出されている韓国社会で3年(時代の流れとともに期間が短縮されつつある・現2年)のブランクを脅威に感じ、心苦しく思いながらも俳優生活を中断する決心がつかず不正に傾く者も少なくないだろう。ドイツでは兵役忌避者は1年間のボランティア活動を代替することで免除されるが、まだ南北分断されている韓国に於いて徴兵逃れは許されない。ともあれ、1996年から8年間主役級で演技を続けたチャン・ヒョクにとって2年間の徴兵期間は決して空白の時ではなく、恐らく心身を鍛練する場と時間であったに違いない。
2007年登場した彼は、贅肉の一切ない身体に精悍でニヒルな表情。役どころは、冷徹でありながら驚くほどの優しさを秘めた外科医。救急処置を適確に行う自信に満ちた彼の姿は「医師になりたい」と希望する若者を増やすに違いない。シュバイツアー物語を読んで医師になりたいと思ったかつての自分を思う。医師に限らず職業選択に於いて、幼い頃、何らかのインパクトを(医師であれば医療の場を目にすること)持つことが、将来人をその道に向かわせることがあるだろうから。それほどチャン・ヒョクは憧憬に値する医師になりきった。
孤児院で育った父は優秀な医師になり大学教授を務めていたが、安楽死させたと糾弾を浴び、反論しないまま医師を辞めタクシーの運転手をしている。母は大手企業の会長を務める金満家で強い意志を持った女性である。父の事件後両親は離婚し、妹も不幸な境遇を辿ることになった。大学病院でレジデントとして勤務していた彼は、当直明けの朝、父が糾弾される場面を目撃したが呆然としてなす術を持たなかった。父が一切弁明を行わなかったことから彼は父を理解出来ず、むしろ憎悪に近い感情さえ抱いている。頭脳優秀であるが故に大企業の娘と結婚することになった父、孤児院で共に育った女性を「ヌナ(姉)」と呼び、成長してからも2人は実の姉弟のように接していた。その姉が不治の病に侵され父に安楽死を求めた・・・。父の苦悩とその生き様、非情とも見える妻の心情、息子である彼の性格とその荒々しい行動形成の根源にあるもの、そうした家族の生態系がほんの数分間のカットで描写される。その脚本と演出技術はすばらしく、チャン・ヒョクが見事に彼らの要求に応えている。韓国ドラマ健在なり。
「ありがとうございます」という題名は、また別の意味で使われているのだが、このドラマを見終った後、誰もが口を揃えて「ありがとうございました」と襟を正すに違いない。ドラマの舞台、架空の離島「青い島」の製作スタッフに乾杯。