6月、沖縄で開かれた学会の合間に、宜野湾市から東へ山越えの道を辿っていました。西海岸は晴れていますが、このあたりまで標高が上がると雲が湧きあがってきて、ときおりスコールが降ります。今日の目的地の中村家住宅は、北中城村にあります。
中村家住宅は18世紀の半ばから1987年まで11世代にわたって比較的裕福な農民が生活していた家で、沖縄の上層農家の特徴を余すことなく備えています。南向きの穏やかな斜面に建てられた小さな木造平屋の住宅ですが、激しい台風や強烈な日差しに耐える強さを持っています。
沖縄本島の山間部や離島へ足を伸ばすと、ゆったりと流れる時間があり、昔からの開放的な造りの家が気に入っていました。そして初めて中村家住宅を訪れた時、沖縄の家独特の居心地の良さが味わえて、すがすがしい気分になりました。本土の住宅と異なる特徴を紹介します。
まず、広々とした石畳の通りからヒンプン(屏風)と呼ばれる衝立状の入り口に対面します。ヒンプンの風化した石灰岩の色合いが美しく、隙間なく精巧に組みあげられた石組みのパターンは見事というほかありません。
中に入ると右は離れ座敷と母屋へつながり、左は勝手口へ通じています。また琉球の家は玄関がなく、広くとった開口部から自由に出入りができます。母屋の入り口には壺屋焼で造られた大きなシーサーがいてお客を迎えてくれます。屋根の上にも一体のシーサーが鎮座して人々を見下ろしています。シーサーはもともと屋根職人たちによって瓦と漆喰で造られるようになったもので、中国の風水にもとづくものです。魔除けなので本来はこわい顔であるべきものが、カワイイものやヒョウキンに見えるものが多いのは、ズングリムックリとした沖縄の家と関係があるのかもしれません。(いちど、漆喰シーサーを自作してみたことがあるのですが、瓦片を組み合わせたものに漆喰を盛り付ける時、シーサーの形を保つのがたいへん難しく苦労しました。
また瓦屋根が庶民に解禁されたのは明治22年で、それ以前は藁葺屋根であったとのことです。)素焼きの瓦を漆喰で固めた沖縄の屋根は風化により変色して、長い年月とともに深い味わいとなります。
またアマハジ(雨端)という深々とした軒下空間をもたせることで室内は薄暗く、また部屋ごとの仕切りが開け放たれているので外気が通りやすく、ひんやりとした空気と静けさが支配しています。母屋や離れで他の観光客から別れて一人になると、おもわずこの畳の上で横になって昼寝ができたら、さぞ気持ちいいだろうなと想像してしまいました。
次の茶の間に移動すると、台所との境界部にオープンキッチンのような3連のかまどが作られています。また、たたき(三和土)で造られた土間の片隅には沖縄でお馴染みのヒカタン(火の神様)が祭ってあります。ここで琉球料理が造られて、家族が揃って食事をしていた風景を想像するだけで楽しくなってきます。
昨今、ブータン王国に見られるように、本来の豊かさや幸福度について多くの人が気づきはじめたように思います。小さな木造の家にこんなに心を満たされるのは、「人が安らぎを感じたり、穏やかでいるためにはそれほど多くのものや広い空間を必要としないということ」この建物の空間に対する考え方は、今を生きる私達に本当の幸福とは何なのかをメッセージとして残してくれたようにも思えるのです。
ぜひ、中村家住宅をおとずれて、いい気持ちを味わってください。