会場をみわたすと正面に教授、元教授のお席があり、なつかしい恩師のお顔を久しぶりにみつけました。たぶん女医専の頃の卒業生で、お年は70をはるかにこえておられるであろう女医さん方もおみかけしました。ピンクのスーツにぼうし、きれいなブルーのパンツにカラフルな上着と軽やかなストールと最先端のファッションでこられていました。私たちはまだまだ元気よ!とアピールされているようでとってもうれしい気分になりました。
講演会は学園祭でにぎわう関西医科大学の学生にも同時中継されているとのことで、みんなが見つめる中での講演がはじまりました。山中先生がiPS細胞を作られるにいたったそのルーツ、先生の大学卒業から今日までを、じつにユーモアたっぷりのエピソードとともにお話して下さいました。はじめてしてみた実験が予想と大きくちがう結果がでて、そのおどろきと疑問から、すべてがはじまったこと、アメリカでは、日本では女性の研究者がほとんどいない頃、まわりすべて女性という環境で、マウスのふんにまみれて研究生活を送ったこと、いっしょにアメリカについてこられた奥様が、御子息の入学のため日本に帰国するや、スタッフのゲイからいいよられた?こと、日本へ帰ってからのいくつかの出会いや、ひらめきから、iPS細胞にたどりついたこと、つねにビジョンをもち、ハードワークで実現する。この2つをモットーにしてきたこと、iPS細胞については、まだ実用化にむけての研究段階であり、いずれは難病といわれる神経疾患等に応用できたらとの思いで日々はげんでおられること。
ほんとうにその日が待ち遠しいと、会場のだれもが思ったことと思います。そして、山中先生はそれを実現してくださるであろうと。
講演会がおわったあと1、000人を超える会場からは、われんばかりの拍手がわきおこりました。それは心からの尊敬と親愛の気持ちをこめたものであり、これほどの盛大な拍手は今までどの講演会でも聞いたことがないくらいでした。
遠くて、偉大な先生と思っていた山中先生が身近な楽しい先生であると感じることのできた講演会でした。
※iPS細胞:様々な細胞になる能力をもつ人工多能性幹細胞