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さて、昨年(H21年)11月の日本耳鼻咽喉科学会専門医研修会は仙台で開催された。例年土・日の2日間でせわしない日程だが、今回は祝日(月)が加わり3連休で、余裕もあったので念願の青森行きを決行することにした。過去の専門医研修会には一年おきくらいに家内が同行しているが、今回も一緒に出かけた。
家内は、各種サークルの友人たちと登山、温泉旅行に出かけており、私に比べれば随分旅慣れているし、脚力もある。
今回の小旅行も、細部の旅行計画は家内の立案であり、私なら行く前から気が重いと否定する旅行プランであった。
仙台から青森(八戸)まで行くのに、新幹線直行なら短時間快適であったはずだが、まず宮沢賢治、石川啄木の想い出の川、北上川が流れる残雪の盛岡駅で下車。
盛岡で、三陸海岸に抜ける山田線というJR単線ニ両連結のローカル線に乗り換える。沿線灌木ばかりが目につく鮭の溯上しそうな渓流沿いを二時間余りのんびり走り宮古へ出た。宮古で三陸の北リアス鉄道に乗り換えて海岸線を一路北上する。きれいな自然美あふれる海岸線を予想していたが、トンネルと防風林ばかり目につき、三陸の自然美を堪能できなかったのは残念。子供の頃から第1次国立公園切手の図柄が頭に刷り込まれた,「北山崎の断崖」、「浄土岩」は車窓からは見えない絶景であると知り、重ねて残念であったが、宮古が本州最東端の町であることを思い出せたのは収穫。幕末五稜郭の戦いの前哨戦が宮古で行われた史実(?)をおぼろげながら思い出した。
小さな海岸列車は久慈市を過ぎ、八戸へ。何度か乗り継ぎの時間待ちをして宿泊予定である三沢市の青森屋旅館にほぼ一日掛かりでたどり着いた。
翌朝、十和田湖や奥入瀬渓谷、または八甲田山に登るのが一般的旅行ルートであろうが、のんびり昼前まで旅館で過ごし,青森駅にむかった。積年の夢が間もなく叶うと思うと、本当に嬉しい。青函トンネルができ、街の賑わいは往時とは違うのだろうと思いながらも、由緒ある八甲田丸の係留された青森の海浜、また遠くかすむ下北、北海道の山並みを眺め、本州最北端の県の大地を踏みしめている感激を味わった。
東北各県は言葉一つとっても、関西人にはなじみの薄い土地柄であるが、明治維新での東北人の活躍、また司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」でより浮き彫りにされた日露戦争に召集された東北各県の陸軍歩兵旅団の命を惜しまぬ英霊たちの活躍に、改めて、日本の国土を今の姿で守り残してくれたお礼を、心から有難うと述べたい。