飛行機の動力2
ジェットエンジンのハシリは1910年に出来上がっている。
小型のピストンエンジンで空気を送り込み点火、それで出来た高圧ガスを
後方から噴出させて推進力とした。 純粋なジェットエンジンではないが
この方式はその筋では有名なイタリアのカプロ・カンピーニ研究機まで
引き継がれる。 しかし、当然ながら現在見かけることはないだろう。
ジェットエンジンは圧縮機の回転も自力で行うのである。
軸流式にせよ遠心式にせよ、レシプロエンジンよりも遙かに製造が難しい。
ジェットエンジンの噴射口を見ればわかるが、まるで溶鉱炉のようだ。
そんな高温に耐えなければならない事や、当時のジェットエンジンですら
エンジンの種類や出力によっては、20000回転近くにも達する高回転に
耐えなければならない事。
1930年代の製造技術ではそのような耐熱部品などを多数量産する事は
非常に難しかった。
エンジン設計ではなく、部品の製造技術が追いつかなかったのである。
ドイツでも遠心式ジェットエンジンを製造していたが、実戦投入された物は
主に軸流式である。 将来の発展性は大きかったが、ドイツに必要だったのは
未来よりも現在であったのかもしれない。
イギリス・アメリカは遠心式を主流にして発展させていった。
アメリカはイギリスから初めてエンジン提供を受けた後、わずか1年たらずで
ライセンス生産を可能とするまの技術を持っていた。
ターボ過給器などで、高温・高圧・高回転などに対する基礎技術が出来上がって
いたからである。 この時アメリカ側でライセンス生産を受け持ったのが
ジェネラル・エレクトリック社で、現在ではアメリカ製ジェットエンジンで
プラット&ホイットニーと列ぶ巨大企業。
一般的にドイツの技術は優れていたと言われるが、実際の所はレシプロにせよ
ジェットにせよ、米英独共に格差は無い所にいたのである。
ニッケルなどの希少金属を入手しやすい分、アメリカが有利にあったとさえ
言えるだろう。 特に核爆弾製造技術ではどこが勝っていたか言を待つまい。
ドイツは技術においてようやく米英と互角であり、その他の戦略的要素の
物資、人員、経済力、全てにおいて明らかに劣っていた。
ドイツにとっての戦争末期、Me262のエンジンのオーバーホール時間は
わずかに25時間。 25時間動かせば完全な分解整備が必要なのである。
対するイギリス、ミーティアのエンジンは180時間も保つ。
将来性はあるが難易度の高い軸流式エンジンを、劣悪な戦略環境で、急ピッチ
で作り上げ実戦投入すれば、やむおえない数字なのかもしれない。
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