この1機  <<二式複戦 屠龍>>


1936年から
ヨーロッパの空で双発多座戦闘機が数多く進空する。
単発戦闘機に比べて、航続距離が大きく、複座機として攻撃や偵察に流用でき、重武装が機首に施せ、
高速を狙える高効率の機体、とされた双発多座戦は期待を一身に受け羽ばたき始めた。

1937年末
ヨーロッパの情勢に興味を持っていた陸軍が、先のキ三八に続いてキ四五の試作を発注。
しかしキ四五は結局不採用となってしまい、日本初の双発戦闘機の誕生は果たせなかった。

1938年から1940年
米英両国で双発単座戦闘機が進空する。
高速で重武装の一撃離脱戦法の基盤をなす、第二世代の双発戦闘機の誕生である。
そして第一世代双発複座戦Bf110がバトルオブブリテンで大敗を喫する。
鈍重な双発複座戦は、まともな単発戦闘機に対抗し難い事が証明された。 この時点で日本はその事
実を全く知らない。

1941年
開戦。


キ45の数少ない画像。
エンジンカウリングの涙滴型の多数の突起が特徴。 屠龍よりもかなり小型
の機体で、双発にしては旋回性能は良かった。
しかし、当時の格闘戦至上主義の前には時期尚早の機体だった。


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