この1機  <<二式複戦 屠龍>>


屠龍開発の経緯
1937年2月、陸軍で双発複座戦闘機の骨子が固まった。
「外国列強が作っているから」と言うような主体性のい無い理由からの発進ではあったが、
同年12月、日本陸軍は中島飛行機に「キ三七」を、川崎造船所「キ三八」を、三菱重工に
「キ三九」をそれぞれ試作発注した。
形式は日本初の双発複座戦闘機とし、一応は爆撃機の長距離援護を担当する機体として開発に入った
が、試作機に求められた航続力ではとても無理な相談だった。
また、要求武装は列強のどの双発戦と比べても貧弱であり、極めつけは「格闘戦能力」を求めた
ことにある。 結局はモックアップだけで実機の試作には至らなかった。

1937年12月、陸軍より「キ四五」の試作が川崎造船所から独立した川崎航空機にたいして
発注された。 武装の強化や航続距離の増大、速度の増加などが要求されていて少しは双発戦ら
しくなってきている。
しかし、装備エンジンの性能不足、実戦では役に立たない後方旋回機銃の装備、ナセルストール
(必要なだけの主翼の揚力が失われる状態)の発生など問題が多く、一部の機体が満州で試用さ
れた程度だった。

1940年8月、同社の設計主務者、故土井武夫氏の先見から「キ四五改」の試作設計が始まる。
「キ四五」と「キ四五改」は外見は似ているが全くの別機で、「キ四五改」は同社設計の「キ四八」
(後の九九双軽)をスケールダウンした機体としている。
これにより、量産時のあらゆるコンポーネントを共通・流用出来るようにして生産性の向上を
狙う意味もある。

1941年9月、1号機完成。 初飛行に成功。

1941年12月、開戦。

1942年2月、二式複座戦闘機として制式採用される。



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