この1機 <十四試局地戦闘機 雷電>
この1枚の為に本1冊買いました。
当時のカラー写真は極めて貴重です。
タイアはパンクし、垂直尾翼は破れ、塗装がかなり剥がれて
武装も外されているものの、日の丸ははっきりと見えます。
「雷電」開発背景
昭和初期、当時の日本海軍・陸軍に於いては、旋回性能の
悪い飛行機はまず採用されなかった。
ところが、支那事変に於いて中国空軍のSB2爆撃機の速度
に96式や97式では追撃できず、一方的に爆撃を敢行され
てしまい、少ないながら被害が発生した。
敵機に追いつけなくては、全く問題にもならない。
そこで、要地上空に侵入する敵機(主に爆撃機)の迎撃のみを
目的にした図抜けた上昇力を持ち高速で重武装の迎撃専用機の
開発が必要とされた。
当時、2式単戦「鍾馗」の開発が中島飛行機で行われていたの
で、同一機種になることを嫌った海軍は、お抱えの「三菱」に
その迎撃専用機の開発を指示した。
零戦の開発を手がけた、三菱の堀越技師を中心とするチームに
試作が任された。 その仕様書の第一印象は「零戦よりは楽?」
であたと言う。 上昇力や速度は図抜けているが、零戦と違い
方向性が一本に絞り込めれたからだ。
ところが、雷電は零戦以上の難物となる。
特徴的な強制冷却ファンを装備する為の延長軸。 機体軽量化
の為に多様した電気系装置のトラブルが主立った要素だった。
特集見出しに戻る
次項