この1機 <十四試局地戦闘機 雷電>



雷電の苦しい戦い

重爆を攻撃目標として開発された雷電の戦いは、当然ながら重爆との
戦いがメインとなっていった。
開発時期の遅延や、各種の不具合からくる実戦配置の遅れから、
その主だった戦いの場は日本本土上空となってしまう。
どんな機種のどんな名パイロットも必ず「最難敵」と称する重爆B29。
その、対B29防空戦闘が雷電の戦いのほとんど全てを占めている。

どう見ても、対B29戦闘は雷電に不利だった。
当時実戦配備されていた日本軍機の中でも、群を抜く上昇力を持つ
雷電も、その上昇力が十全に発揮されるのは高度6000m迄である。
それ以上ではターボ過給器の無い悲しさで、上昇力はガクンと落ちる。
高度10000m付近での上昇力争いでは、重爆であるB29にも
遙かに劣る性能しか持ち合わせていなかった。

初めて本土上空で迎撃展開したのは、昭和19年10月25日。
奇しくも、敷島隊の突入したその日である。
済州島(韓国南部に浮かぶ島、現在は観光地。)方面より侵入する
B29を迎撃する為に、他の機体と一緒に8機の雷電が高度8000m
に展開した。
来襲高度が高かったことや、機数が少ないことなどもあり、顕著な
戦果はあがらなかったが、雷電によりる本土上空防空戦の初舞台と
しては、記念すべき日である。


雷電の目標。 米第21爆撃兵団所属のB29。
巨大さが実感できる1ショット。


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